神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和11年における修養団の機関誌『向上』の発行部数ー山口輝臣編著『渋沢栄一はなぜ「宗教」を支援したのか』(ミネルヴァ書房)への補足ー


 山口輝臣編著『渋沢栄一はなぜ「宗教」を支援したのか:「人」を見出し、共鳴を形にする』(ミネルヴァ書房、令和4年4月)所収の山口「第三章 蓮沼門三と渋沢栄一」は、蓮沼が主宰した修養団の機関誌『向上』の発行部数に言及している。

 こうして修養団は加速度的に拡大した。機関誌『向上』の発行部数は、一九一二年には二〇〇〇部だったのが、一九一九年には一万二〇〇〇部へと増加。翌年からは月に二〇〇〇人のペースで団員が増えはじめ、二二年一〇月には八万人を超える。(略)

 修養団を支援した渋沢は、昭和6年に亡くなる。その後の『向上』の発行部数は、小林昌樹編・解説『雑誌新聞発行部数事典ーー昭和戦前期 附・発禁本部数総覧』(金沢文圃閣平成23年12月)*1に出てくる。なお、西暦を元号に改めたほか、「発行」「処分」などを補った。

向上 30巻 4号 昭和11年4月1日発行 20,000部 昭和11年3月26日処分

向上 21巻20号 昭和15年6月5日発行  200部 昭和15年6月11日処分

 ここで気を付けなければならないのは、「「ざっさくプラス」(皓星社)と『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)を使って木下宏一『二〇世紀ナショナリズムの一動態:中谷武世と大正・昭和期日本』(三元社)に補足 - 神保町系オタオタ日記」でも言及したが、同名異誌の雑誌が混在していることである。同事典には発行所の記載がないので、処分年月日から『発禁年表』に当たり発行所を確認する必要がある。実際調べると、2冊の『向上』のうち前者は修養団、後者は千葉県の東陽村青年団の発行と分かる。一時期8万部もあったが、昭和11年には2万部に減少していたことが分かる。なお、昭和11年3月の処分と言うことで、ピンと来る人がいたら鋭い。『出版警察報』91号(内務省警保局図書課)に、蓮沼「闇に輝く昭和の光」が「叛乱軍ニ対シ賞揚的記述ヲ為スニ因リ第六頁乃至第九頁削除」とある。二・二六事件に関連した処分であった。
 ところで、山口論文は、前記引用部分の典拠として、新藤雄介「大正期における雑誌『向上』と修養団の広がりーー」巡回講演と青年団の関連において」(『メディア史研究』34、平成25年9月)18頁を挙げているが、正しくは15頁である。また、赤澤史朗「教化動員政策の展開」の収録書を日本現代史研究会編『一九二〇年代の日本の政治』大月書店、昭和59年としているが、正しくは鹿野政直・由井正臣編『近代日本の統合と抵抗第4巻』日本評論社、昭和57年である。

*1:令和2年9月に増補改訂普及版が出ている。ただ、図書館は元版を持っていると増補改訂普及版を買ってくれないようで、所蔵館は少ない。