先々月だったか臨川書店の古書バーゲンで『地塩洛水:京都大学YMCA百年史』(京都大学キリスト教青年会、平成15年3月)を500円で入手。同書の「京大YMCA百年史年表」で、谷口善之が理事長(昭和7~9、14~19、28~29、33~34、36~41年)や副理事長(昭和10~13、32年)として名前が出ていたので、家蔵する谷口の日記を思い出した。ブログの下書きで一部引用しかけたら、既に「医学生で京都帝国大学基督教青年会の谷口善之が残した大正13年・14年日記 - 神保町系オタオタ日記」で話題にしていたことが判明した。気を取り直して、重複しない記述を引用しておこう。
(大正十三年)
十一月七日 金曜日
○当青年会の先輩なる佐藤繁彦氏を招き夕食を共にして、后一夕の座談会を開いた。会外の人も十名近く出席せられて大変霊感の充ち満ちた気持のよい嬉しいめぐまれた集りであつた。
十一月十六日 日曜日
○午食后数人の友と打連れて若王寺へ紅葉を見にゆく。途中真如堂を通り、此処も亦美しい景色に僕らを楽しませた。
若王寺より山に入り新島襄の墓に詣でた。
南禅寺奥の院に出て、名物湯豆腐をたべて夕景帰舎。
十一月二十三日 日曜日
○午後二時半より当青年会館創立十周年紀念式を催す(略)
(大正十四年)
十月四日 日曜日
(略)
○朝は室町教会に山谷先生の伝道説教をきく、「二種の生活」
(略)
大正13年11月7日の条の佐藤繁彦は、ルター研究者で同年9月にドイツから帰国したばかりである。同年11月23日の条の「当青年会館」は、大正3年に完成した京都帝国大学基督教青年会会館で、ヴォーリズ設計である。なお、『地塩洛水』319頁に載る同日の記念撮影写真には湯浅八郎、藤浪鑑、中瀬古六郎らのほか、谷口の同級生である大角俊吉の名が見えるが谷口は出ていない。
大正14年10月4日の条の「山谷先生」は、第三高等学校教授で後に日本基督室町教会牧師(昭和17~21年)となる山谷省吾(やまや・せいご)と思われる。
谷口の大正13年分の日記は、半分くらいが聖書、『レ・ミゼラブル』、『虞美人草』等からの引用である。プロテスタントの信者の日記はこういうものだろうか。学生時代の日記でも十分興味深いが、理事長時代、特に戦時中の日記が残っていれば非常に貴重なものになると思われる。
参考:大正13年等に副理事長を勤めた瀧浦文彌については「京大文学部哲学科の宗教学専攻初代卒業生だった瀧浦文彌のキリスト教人生ーー石川啄木の代用教員時代の同僚上野さめの夫ーー - 神保町系オタオタ日記」、室町教会牧師(大正元年~昭和8年)だった日高善一については「京大三高基督教義研究会と『フランダースの犬』最初の訳者日高善一牧師 - 神保町系オタオタ日記」参照