神道天行居の友清歓真がチャーチワードのムー大陸に言及していたことは、「日本における「ムー大陸」受容史 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。あらためて読むと、日本における最初のムー大陸紹介者とされる三好武二が「MU(ルビ:ミユウ),」と表記し、以後の紹介者が「ミユウ」「ミユ」「ミユー」などとしているのに対し、友清は「舞(ルビ:ム)」としているのが異質である。そのため、初出を確認してみた。古書からたちで買った『神界の経綸と天行居の出現』(神道天行居、昭和8年2月)の「日乃御綱」が、初出と思われる。
先年刊行された『霊山秘笈』を増補して重版されることになり、書名も『神界の経綸と天行居の出現』と改題されることになつた。(略)此の機会に於て思ひついたことどもを左に断片的に書き綴りて、巻末に追加したいのである。(略)
英国人チヤーチ、ワード氏の多年の研究によると、世界文明発祥の国土は今の太平洋中にあつた(南アメリカ州位ゐの大きさ)一大国土であつて、それが約一万三千年前*1に噴火と地震との為めに六千余万の住民と共に海底に陥没して了つたものだと云ふ。それは『舞(ルビ:ム)』といふ光輝ある文化を有した国土で、印度や埃及方面の文明なるものも皆な此の『舞』の国から派生したものだといふのである。斯ういふ研究が如何なる程度まで学問的価値あるものか其れは私のあづかり知るところでないけれど、一も二もなく否定し去るわけには参るまいと思ふ。(略)私一個の考へから云へば此の『舞』といふ国の存在学説が将来一層権威を生じて来た方が、われ/\の信念を裏書するには却て有益であらうとさへ思ひ、殊に其の『舞』といふ国号の名義には多大の興味をもつものであるが、これ以上のことを書くと叱られるから此の問題はこの程度にしておく。
(略)ーー昭和七年十月、木犀の花香る頃、無方斎の北軒に於て、友清磐山しるすーー
(略)
初出のここでは、引用文を表す『』の記載はない。『神道古義』天之巻(神道天行居、昭和8年2月第1版・昭和11年5月改題改編改訂増補第2版)から『』が挿入されていた。初出時に『』がないことから、原文の正確な引用ではなく、友清による要約かもしれない。いずれにしても、友清は、三好の紹介文を見たのではなく、チャチーワードの原書か、三好以外の未知の紹介記事を見たと思われる。
「MU」に漢字を当てた例としては、「鴎外のトンデモ、露伴の非科学(その5) - 神保町系オタオタ日記」で言及した幸田露伴の「無」の例がある。また、三好の『世界の処女地をゆく』(信正社、昭和12年6月)の「消え失せたMU(ルビ:ミユウ)大陸」*2には、「梨倶吠陀」(リグ・ヴェーダ)に関してチャチワードの「無有歌」に言及した文章の高楠順次郞による翻訳文が引用されている。この高楠の翻訳の初出は、調査中である(←追記:高楠による『梨倶吠陀』中の「無有の歌」の翻訳は、『世界聖典全集』前輯第6巻(世界聖典全集刊行会、大正10年3月)。ただし、チャチワードとこの翻訳を結びつけた部分は、三好の文章でした。「無有」と「ムー」とは、無関係。)。昭和7年の三好による紹介前後には、まだまだ未知のムー大陸関係の記事が存在するようだ。
参考:「日本におけるムー大陸受容史ーー「日本オカルティズム史講座」第4回への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」