神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正10年新京極に誕生した京都美術館という名の画廊

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高橋輝次『雑誌渉猟日録 関西ふるほん探検』(皓星社)の「渡仏日本人画家と前衛写真家たちの図録を読む」に大塚銀次郎が昭和5年神戸市元町に開いた神戸画廊が登場する。神戸の芸術家サロンと言うべき存在で、一時期は日本最初の画廊とされていたが、今は明治44年4月開設の高村光太郎の「琅かん*1堂」が最初とされているようだ。拙ブログの「武林無想庵の渡仏を助けた京都初の洋画商三角堂の薄田晴彦」で紹介した京都の「三角堂」を画廊と言ってよいのか分からないが、同年11月開設なのでいずれにしても日本最初の画廊ではないことになる。
ところで、昨年2月の京都古書会館の古本市でシルヴァン書房から『美術館誌』1巻1号(大正10年3月)なる新聞を見つけた。8頁、タブロイド判。最初は京都市美術館の館報と思ってしまい、図書館にあるだろうし止めておくかと思った。ところが、中を見ると株式会社京都美術館が発行、編輯兼発行人は山田旭だし、調べると京都市美術館昭和8年11月開館であった。これは面白そうだと購入。京都美術館の営業種目を掲げると、

東西大家絵画展覧会
新進画家作品展覧会
式紙短冊扇面画帳展覧会
美術品委託販売
美術二関スル金融信託業
美術二関スル諸材料販売

営業種目を見ると、美術館という名を冠した画廊だったようだ。「美術館」を名称独占とする法令はないから、画廊が美術館と称しても問題は無かっただろう。「謹告」によれば、大正10年1月末に創立総会を開き、2月上旬に登記をした。本館新築までは京都市下京区新京極三条下ル西側で仮営業を開始。現在天下一品新京極三条店がある辺りだろうか。1頁には創刊の辞がある。

(略)本館事業の一端たる本誌は時に斯界の時事を談し、時には直情径行にして他の褒貶を顧みす客観的批評を試み、又時には隠沈稀微の間に奇を得るの例に倣ひ、隠れたる不遇の作家を顕彰し、真に美術界に貢献すへく真摯の機関たるへく立脚し尚ほ広く海内外に頒布し、吾美術界の機微を報導[ママ]し、美術趣味向上に努力する、之れ本誌刊行の意義にして又偽らさる告白なりと爾云  館主再拝

記事の目玉は「京都の美術界」で、国展、反帝展や自由画壇の動向などが報告されている。「洋画家」の項から引用すると、

洋画家 (略)最近帰朝した都鳥英喜氏も時事に感したか、帰朝を機として東都に移住するとの評判、国松金左衛門氏も欧州留学の途に就きたりとのことにて、洋画家中の中心として大[ママ]田喜二郎氏か鴨の偶居に独り異彩を放つに過きん、京都洋画界は斯くして寂れ行くのであらうか。

『都鳥英喜展』(京都新聞社、平成13年)の年譜によると、都鳥の欧州留学からの帰朝は10年2月。当時は京都高等工芸学校講師で関西美術院教授であった。その後東京に移住はしていないが、そのような噂があったのだろうか。

雑誌渉猟日録 関西ふるほん探検

雑誌渉猟日録 関西ふるほん探検

*1:正しくは王偏に干