神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

郷土玩具収集家としての宮脇楳僊こと宮脇賣扇庵4代目宮脇新兵衛

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京都新聞の「ウは「京都」のウ」ファイル15「緑紅さんによろしく」第3回(4月23日)は、田中緑紅の郷土趣味社を核に集まった「野」の知的人脈の話。昭和9年3月7日緑紅が南紀白浜から京都へ戻る途中、南方熊楠を訪問したエピソードが日記の写真と共に紹介されていた。もう一人、緑紅叢書の『伏見人形の話』で紹介された宮脇楳僊こと宮脇新兵衛(1893-1960)も登場。宮脇は京扇子を扱う老舗「宮脇賣扇庵(ばいせんあん)」の4代目で、郷土玩具の蒐集が万を超し、そのうち千点が大阪歴史博物館に「宮脇コレクション」として所蔵されているという。
私は宮脇の名は忘れていたが、拙ブログの「昭和14年のみやび会に結集した10人のコレクター群像」で言及していた。『和多久誌』(みやび会、昭和14年3月)に載っている宮脇の経歴を要約すると、

京都市上京区北野紙屋川町
宮脇楳僊
本名新兵衛、幼名彦太郎。号楳僊
明治26年1月 京都生
趣味は古玩及び郷土玩具を主として大小不問2万3、4千種を蔵す。
幼児より総ての物を蒐集するを好み、大正6、7年の頃宝船蒐集の流行を契機として、次第に蒐集欲を増し、郵券、燐票、木版、ポチ袋、絵葉書、古書、木版刷物その他一切の趣味品に及び殊に宝船は約4千枚を蒐集。

これによると、コレクションは1万点では済まなかったようだ。また、「田中俊次編輯『鳩笛』6号(ちどりや、大正15年3月)」で言及した『鳩笛』6号の「京都の趣味家(下)」にも簡単に紹介されていた。

宮脇彦太郎 現代の宝船蒐集の第一人者、五百余点、これ丈もつてゐる方は一寸ない。ポチ袋二千五百、これは的場氏*1と共に京都祝儀袋交換会の同人である。支那玩具も沢山に集められてゐる。お商売物の扇子に関したものゝ蒐集もせられてゐると云ふ。(略)

この大正15年の頃はまだ郷土玩具の蒐集はそれほど行っていなかったようだ。
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最後に今日から始まった四天王寺春の大古本祭りでシルヴァン書房から宮脇の昭和5年の年賀状を入手したので、これも写真をあげておこう。
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(参考)
緑紅叢書の田中緑紅が遺した約70冊の日記 - 神保町系オタオタ日記

*1:的場喜三郎と思われる。『和多久誌』によれば、京表具春芳堂に丁稚奉公から昭和14年まで45年勤務。玩具、版画物、宝船、絵封筒、祝儀袋、火事に関する刷物、お酒の商票、明治時代の燐票、煙草包装紙等を蒐集。