神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

あらえっさっさと直木賞作家生島治郎の筒井康隆宛献呈署名本『死ぬときは独り』を放出

オタどん蔵書放出の目玉本バトラー『魔法入門』(角川文庫)と君本昌久『非歌』(蜘蛛出版社)が速攻で売れちゃったというので、ヨゾラ舎に追加しました。
今回は、生島治郎『死ぬときは独り』(ポケット文春、昭和49年3月)である。新書サイズの本書はさほど珍しいものではないが、生島の筒井康隆宛献呈署名入り。全体的にヤケあり、帯欠。10頁ほど右上角に折れ跡あり。ネットオークションには噴飯物から「力作」まで自称サイン本や自称サイン入り色紙が氾濫しているが、本書は来歴がはっきりしている。筒井康隆→青空書房(坂本健一)→坂本没後大阪古書組合の市会→文庫櫂→神保町のオタである。
筒井『腹立半分日記』(文春文庫、平成3年5月)の「あらえっさっさの時代」を見てみると、しばしば生島の名前が出てくる。一部を紹介すると、

(昭和四十二年)
十二月二十一日(木)
文藝春秋より通知。「ベトナム観光公社」が直木賞候補。(略)
生島治郎より架電。この人も風邪ひき。
(略)
(昭和四十三年)
一月二十三日(火)
生島治郎星新一よりおくやみの電話。
(略)
三月七日(木)
(略)
夜、生島治郎より誘い出しの電話。「青い部屋」へ行くと生島氏が高松女史をつれてやってきた。野坂昭如五木寛之などもいた。(略)

「おくやみの電話」は筒井の直木賞落選への見舞いの電話である。生島の方は42年に『追いつめる』で受賞していた。残念ながら、本書の発行された49年の日記は公開されていないので、本書をめぐるやりとりは確認できない。筒井が亡くなったら公開されるかもしれない。筒井と生島が親しかったことは、ネットで読める「コラム別に読む:黄土の奔流[著」生島治郎」でもうかがわれる。これによると、筒井の最初の短編集『東海道戦争』が40年早川書房から出版されたが、元早川書房の編集者で39年『傷痕の街』でデビューしていた生島と親しくなったという。
本書をいくらで放出するか悩むところだが、『日本古書通信』平成8年4月号には東広島の文学館(という名の古書店)が『追いつめる』の署名本を6000円で出している。献呈先は不明だが、直木賞受賞作である。盛林堂書店やジグソーハウスなら本書に幾らつけるのか気になるところだが、私は4000円にしてみた。生島のファンや直木賞作家のサイン本コレクター向け、もしかしたら筒井旧蔵書を所蔵したいという人もいるかしれない。しかし、さすがにこれは直ぐには売れないだろう。売れるまで本を追加しなくてすむなあ。
なお、本書は筒井康隆関係一括を相当の額で買ったうちの一冊である。→「文庫櫂で青空書房旧蔵の『NULL』創刊号を
また、磯田光一鹿鳴館の系譜』(講談社文芸文庫、平成3年1月)帯付き、300円も補充。

腹立半分日記 (文春文庫)

腹立半分日記 (文春文庫)