神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都帝国大学附属図書館の金井浩は実在したか

福田與『満天の星を仰ぎて:自伝』(福田図書室、昭和61年10月)に京大図書館の金井浩という人物が出てくる。

ところが、私のうちはこの頃から妙に来客が多くなってきました。まず宮崎童安先生及び高田集蔵先生、そして先生をめぐる多くの知友が京都を訪れる度に必ず私どもの家を訪われ、一夜なり二夜なり木賃宿よろしく皆で雑魚寝をいたしました。
まず第一の客は、大阪は十三の漆屋さんの長船林三郎氏でした。(略)また家が近いので度々来られたのは京大図書館づとめの金井浩さんでした。稀に見る真面目な求道者で江渡狄嶺翁に私淑しておられ、有馬良治さんとも仲良しでした。(略)

小原與は京都市立崇仁小学校勤務中の昭和2年に宮崎童安を知り、4年11月宮崎の媒酌で福田武雄と結婚。武雄は6年頃四条堀川東入る北側の本屋を譲り受け、古本屋を開店し、父親を店番にした。與は7年1月から8年3月まで京都府聾学校に勤務、同年9月高田と初対面。金井が福田家に出入りした時期ははっきりしないが、4年の與の結婚披露宴に出席し、6年の江渡の入洛時には、北白川の下宿で江渡と與と夕食を共にしている。また、5年12月から板橋行蔵、金井、長船、與の4人で雑誌『草の葉』を発行している。
この金井が京都帝国大学附属図書館の職員だったのかと、『京都大学附属図書館六十年史』(京都大学附属図書館、昭和36年3月)の職員一覧を見ても見当たらない。『京都帝国大学一覧』を見ても該当者なし。昭和4年から8年までの時期で金井浩というと、『郷土科学』14号(刀江書院、昭和6年12月)の「山上村を訪ふの記」などを書いた人物がいるが、肩書きは東京商大教授・文部省社会教育官である。この人は、『昭和人名辞典』1巻によれば、

金井浩 兵庫県人。明治19年2月14日生。大正4年東京高商附属教員養成所卒。浜松・岡山各商業教諭。熊本・静岡各商業校長。文部省社会教育官等歴任。昭和7年東京府立第一商業校長。曩に東京商大専門部教授を兼任。

與のいう「京大図書館づとめ」の金井とは別人のようだ。はてさて、京大図書館づとめの金井とはいったい何者だったのだろうか。