神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

太田喜二郎人生最後の年賀状ーー津崎信子宛年賀状からーー


 『近代文化人ネットワーク 太田喜二郎の周辺』(京都大学人文科学研究所みやこの学術資源研究・活用プロジェクト、令和3年)を頂きました。ありがとうございます。特に洋画家である太田が受け取った知人・友人からの手紙の封筒に記された差出人の署名部分を貼り付けた『署名貼付帖』が掲載されていて、ありがたい資料である。
 この158人の署名部分が貼り付けたられた冊子は、京都文化博物館で開催された総合展示「近代文化人ネットワークーー太田喜二郎の周辺ーー」(令和3年11月~令和4年1月)で出品されていて圧巻であった。画家は勿論、京都帝国大学の学者、日出新聞記者、文学者、仏教者など多彩な人脈がうかがえるもので、人数が多いためメモしてなかったのでこれで助かった。
 実は、太田直筆の年賀状(昭和26年)を持っている。平安蚤の市でpieinthesky氏から購入したものである。1,000円だったか。年賀状なので情報量は乏しいものの、太田は昭和26年10月に亡くなっているので、人生最後の年賀状ということになる。
 宛先は滋賀県彦根市の津崎信子宛である。この人の経歴は、不詳である。残念ながら、『署名貼付帖』に名前は出てこない。津崎宛で他に入手した葉書は、竹林熊彦や須田国太郎からである。太田も含めてこれらの発信者の共通点は、京都帝国大学(京都大学)である。津崎が京都帝国大学附属図書館の司書官(昭和14年10月~17年8月)だった竹林と交流があったのなら、同図書館員の可能性がある。しかし、ネットで見られる『京都大学附属図書館六十年史』(京都大学附属図書館、昭和36年3月)の「附録」に名前はなかった。
 戦前に京都帝国大学文学部で講師だった須田からの年賀状の他に独立美術協会事務所からの「第26回独立美術協会展」(昭和33年)の案内*1もあったので、同協会に属する須田から絵を学んでいた可能性がある。昭和30年代には結婚したようで漢見姓になっていて、夫婦で愛知県豊明町(現豊明市)の豊ヶ岡農工学院(少年院)の官舎に住んでいる。少年院で絵を教えていたのかもしれない。

*1:会員一覧のうち、須田と今井憲一の名前が鉛筆書きで囲んである。