神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京大三高基督教義研究会と『フランダースの犬』最初の訳者日高善一牧師

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すっかり児童の姿が見られなくなった国際児童文学館で、小展示「大阪府立中央図書館 国際児童文学館 資料小展示「フランダースの犬 ―ネロとパトラッシュのさまざまな姿―」 - 大阪府立図書館」を開催中。日本における最初の翻訳書は日高善一(柿軒)訳『フランダースの犬』(内外出版協会、明治41年11月)だという。この日高の名前を最近井上照丸追憶記刊行会編『井上照丸追憶記』(昭和44年4月)中の藤林益三「井上君とキリスト教」で見つけた。

私は三高時代のアルバムを今でも大切にしているが、その中に珍しい写真がある。昭和二年二月十三日(日曜日)に京都の室町教会で日高善一牧師を中心に撮ったものである。当時京大三高基督教義研究会というのがあって、私はたしか井上君の紹介で参加したのであった。(略)読書会ではトマスアケンピスの著と伝えられる「キリストに倣いて」をエブリマンズ・ライブラリーの英語で読んだことをおぼえているし、今も三三一番として残っている「主にのみ十字架を負わせまつり」という讃美歌をともに歌ったことが思い出される。
当然のことであるが、日高牧師は私にも洗礼を受けて教会に属すべきことを折にふれて話されたが、私にはその意義がつかめないままに、ついつい足が遠くなり、出席しなくなってしまった。(略)
私の手許の写真には若い日に井上君と私のほかに京大生二人、三高生四人がいる。その中で私が今でも名前を知っている三高生は難波浩、浜田金太郎の両君であるが、この人たちのキリスト教も今はどうだろうかと、写真を見て思うのである。

井上と藤林は昭和3年3月三高文科甲類卒、浜田は同月文科乙類卒、難波は2年3月文科丙類卒後京大文学部へ。10人ほどの小規模な研究会だったようで、京大三高基督教義研究会だけの先行研究は無さそうである。あったとしても、『新約聖書全巻註解』で知られる日高や戦後最高裁裁判所長官となる藤林に関する人物研究の中で言及されているだけであろうか。
(参考)「昭和17年8月シンガポールで交錯したジャワ派遣の大木惇夫と日米交換船の鶴見和子・俊輔 - 神保町系オタオタ日記
追記:『京都府百年の年表』6宗教編(京都府、昭和45年3月)によると、大正15年1月19日京大・三高の基督教者有志が、三高帝大基督教研究会を設立、室町教会牧師の日高善一を招いて連続基督教研究講座を開く(『中外日報』1月9日)
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