神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正11年今日も旅する小川千甕

昨年12月から今年1月まで京都文化博物館で展覧会が開催された小川千甕(せんよう)。「柴田宵曲翁日録抄(7)」『日本古書通信』昭和57年1月号に出てきました。

(大正十一年) 曇 雨
十一月一日 行くさ省線にて小川千甕氏がりに、あづかりし幅をとゞく。旅行中の由。

『縦横無尽ーー小川千甕という生き方ーー』(求龍堂平成26年11月)の増渕鏡子編「小川千甕年譜」によると、千甕は、明治39年6月に初めて『ホトトギス』にコマ絵を寄せ、大正5年3月には高浜虚子、池内たけし、平福百穂らと旅行、甲府駅で飯田蛇笏に迎えられ、久遠寺を参詣し、富士川を下る旅の様子を『ホトトギス』に挿絵を描いたという。また、大正7年から北豊島郡巣鴨町に住んでいた。旅行好きで、年譜には記載がないが、大正11年この時も旅行に行っていたようだ。柴田は大正7年から12年までホトトギス社の編集者だったので、その関係で千甕と面識があったのだろう。
なお、年譜によると、千甕の生家は京都の元禄年間創業の書肆「柳枝軒」、貝原益軒の書籍出版で知られ、後には主に仏教書を手がけたという。大正9年1月から健康のため、自彊術道場に通い始めている。兄・多一郎は新聞記者で文筆家の煙村。
柳瀬正夢も「柴田宵曲翁日録抄」に出てくることは「柳瀬正夢と柴田宵曲の出会い」で紹介した。ちくま文庫ちくま学芸文庫で『柴田宵曲翁日録抄』を人名索引付きで刊行してほしいものである。

縦横無尽―小川千甕という生き方

縦横無尽―小川千甕という生き方