酒井温理という人物が酒井勝軍の周囲にいたことについては、「酒井勝軍の死とトンデモない人達」で言及したところである。これに補足すると、
・三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(日猶関係研究会、昭和28年8月)に、戦前の学界における親ユダヤ陣営の人々として、佐伯好郎、小辻節三、仲木貞一、藤沢親雄とともに、青山学院の左近義弼博士、同酒井温理があがっている。
・昭和37年5月16日付朝日新聞夕刊によると同月15日杉並区永福町の自宅で死去、88歳。
今やこの酒井温理の名を知る人は、宮澤正典同志社女子大学名誉教授、吉永師匠とわしぐらいかと思っていたが、ググるとウィキペディアに立項されていた(*_*)
さて、ツイッターで一部紹介したこともありますが、あらためてブログで『柏木義円日記』(行路社、1998年3月)に登場する酒井を紹介しておこう。
(大正十年)九月十六日(略)酒井温理氏へ出状、神学評論ノ左近氏ノ文転載允諾ノ事ニ付キ(略)
十月九日(略)湯浅氏ヲ辞シ青山原宿ニ酒井氏ヲ訪フ、大ニ款待セラル。酒井氏ニ伴ハレテ左近氏ヲ訪フ、脱俗超塵高士ノ風アリ、全ク囚レザル人ナリ。一見旧ノ如ク書斎ニ延(ママ)イテ「シナゴーグ」ニテ読ム、羊皮ニ書キシモーゼノ五経ヲ見セラル、実ニ珍品ナリ。長サ廿一間四十二頭ノ羊ノ皮ヲ要セシモノト、エレサレムノ古道具屋ニテ十五磅ニテ購ハレシト。ユダヤ人ヤアラビア人ノ割礼ノ道具ナドモアリ。蓋シ書斎ニ通サレシハ稀ナル待遇ナリト。酒井氏ハ「私ノ尊敬スル方」ト予ヲ紹介セラレタリ、「社会改造ノ根本問題」ヲ下サレタリ。(略)酒井氏ト帰ヘリ入浴シテ昼食ヲ供セラレ大変御馳走ニナリ、西田氏ノ「犠牲ノ生活」ヲ態々買フテ与ヘラル。
「湯浅氏」は湯浅治郎。「左近氏」は『社会改造の根本問題』(聖書改訳社、大正9年4月)の著者左近義弼と思われる。この記述は、左近の書斎の状況がわかる貴重な記録だ。「西田氏」は、『懺悔の生活』(春秋社、大正10年7月)の西田天香だろうか。
酒井勝軍の身近にいたと思われる酒井温理だが、竹内文献などいわゆるトンデモ系にはどの程度関係していたのであろうか。今後の研究課題である。