神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

偽作者にして奇人の西村兼文

均一パトロールで林若樹『集古随筆』を」で言及した西村兼文について、徳富蘇峰も書いていた。並木浅峰・庄司浅水編『愛書五十年:蘇峰随筆』(ブックドム社、昭和8年4月)所収の「日本の贋作家」に、

其の内にても辣腕家と称す可きは、関西の西村某也。彼は古鈔、経巻等には、若干の智識を有したるが如し。されど此を濫用し、或は古経巻に、歳月や、写手名や、若しくは所持者の姓名を竄入し、或は跋語を加へ、或は寄贈者の名を掲げ、此が為めに、折角の名品を、疵物たらしめたる類は、枚挙に遑まあらざる也。

とある。そして、蘇峰は痛快な贋作として、
・延喜十三年版と称する文選の残闕(「延喜十三年二月五日良峰刊之」と記し、源親房印も)
・唐天祐二年版と称する陶淵明帰去来辞(「大唐天祐二年秋九月八日餘抗龍興寺沙門光遠刊行」と)
をあげている。「西村某」としているが、林若樹のいう西村兼文と同一人物だろう。
さて、この西村兼文だが、『新撰組始末記』の著者として知られる西村と同一人物であった。市居浩一「西村兼文小伝」『霊山歴史館紀要』8号によると、

現在、「新撰組始末記」を抜きにして兼文が語られることは、まずないと申してよいであろう。
然し明治後期から昭和初期にかけては、兼文は古経などの偽作者、古書店古画類の鑑定の大家、その分野に於る著作者として一部の好事家の間に名を知られていたのであり、兼文のそうした面を伝える文献も必ずしも少くはない。

市居氏は偽作者としての西村に関する参考文献として、
・東京閑人(林若樹の仮名)「西村兼文氏逸話」『集古』明治40年7月
市島春城『文墨余談』(翰墨同好会、昭和10年
・西京繁人「補西村兼文逸話」『集古』大正2年9月
・『骨董雑誌』1号(骨董雑誌社、明治29年11月)、2号(同社、同年12月)
をあげている。機会があれば、読んで見たい。市島や三村竹清の日記にも出てくるかもしれないので、要チェックである。
市居氏は、論考の最後を次の文章で締めている。

もし「近代京都奇人列伝」という本を書く人があれば、その著者にとり兼文は逸すべからざる人物であろう。

なるほど、確かに古書をめぐる京都出身の奇人として、記憶に留めるべき存在である。