神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

村上一郎の日記に酒井温理を発見

『脈』88号(脈発行所、2016年5月)「村上一郎の未発表日記と『試行』Ⅰ」特集で村上の日記を見てたら、酒井温理が出てきた。

(昭和三十五年)
一月二十一日(木)
(略)急に酒井温理さんを訪ねてみたくなった。(略)青山学園へ電話して番地を訊き(略)
酒井さんに会つて何よりよかつたのは明治三十五年から三十六年にかけての柏木義円をしつてゐたことであつた。酒井さんはつむじまがりだと自分自身を評してゐる通り、一種のニヒリストで、社会主義者者にならなかつたらしいが、学生のとき(明治二十六年代)社会主義の本を読んでゐた。白石喜之助[編者註:メソジストの牧師、一八七〇ー一九四二]もよく知つてゐた。しかし、思想家としては柏木のやうな勁い人であつたかどうか。何でもヨギ(瑜御、インドの神秘哲学)の研究をしてゐて、大正時代にメソジストの監督に反抗したさうである。酒井さんによれば、白石はキリスト者ではなかつた。(略)聖書に於ける奇蹟を白石はみとめなかつたらしい。

村上と酒井の関係は不明。「村上一郎年譜」(田村雅之・作製)によると、大正9年生、昭和18年東京商科大学卒、27年平凡社編集部へ嘱託として入社、29年同社を退社、31年桶谷秀昭らと同人雑誌『典型』を創刊。父友二郎はクリスチャン(ホーリネス派)だったという。。酒井については、「酒井勝軍ならぬ、もう一人の酒井なる酒井温理」などを参照。酒井を追いかけていたら、白石喜之助という新たな面白そうな人も出てきた。