またまた『編集者 国木田独歩の時代』でおなじみとなった人達を見つけた。
大正6年4月5日 窪田空穂君の妻君が死んだそうだ。
4月6日 午後窪田君の妻君のお葬式があった。同君は去年子供に死なれ、いままた妻君に死なれた。田山花袋、徳田秋声、水野葉舟、大[ママ]田水穂、高村光太郎その他の人達に逢った。田山さんは全く老人らしくなった。水野君はときどき浅薄な感じを与える人だ。惜しい人だと思う。風が烈しい。三木君の妻君などといっしょになる。
引用は『秋田雨雀日記第1巻』から。不勉強で、高村光太郎と独歩と関係があったかは不明。
「三木君」は三木露風と思われる。大正2年11月の『独歩詩集』(東雲堂書店)で編者になったのは、独歩の曾祖母おもんが三木家の出という縁によるとのこと。また、「妻君」とは同月3日に型ばかりの祝言をした栗山富造の四女なかのことだろう。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-