神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 松本健一も注目する下中彌三郎


松本健一氏も、下中彌三郎や松宮春一郎に言及していた。「下中弥三郎の思想的陥穽」(『季刊世界政経』64号、昭和53年1月)によると、

下中が『啓明』とともに、『文化運動』を刊行していることは、すでにふれたが、この『文化運動』の編集人が石田知治であり、その中心的執筆者のひとりが、土田杏村であり、江渡狄嶺であった。狄嶺は『文化運動』に、「百性愛道場より」という通信文を連載してさえいた。
ついでながら、下中は、大正十年九月に狄嶺が可愛御堂を自宅敷地内に建てたとき、その共同発起人になっている。ほかに、水野葉舟、石田知治、松宮春一郎が共同発起人である。この御堂の設計者は高村光太郎であった。


特に目新しい情報はないようだが、松本氏も下中らに着目していたのだね。


(参考)「電気的真丹後蝸牛報