神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

久米正雄らが参加したファッショ運動団体五日会と雑誌『恤兵』

戦前久米正雄が参加した「五日会」という文士と軍人のファッショ運動団体があった。小谷野敦久米正雄伝』(中央公論新社平成23年5月)に、

[昭和七年]二月四日の「読売」に、久米が、直木、三上、白井喬二、佐藤八郎(サトウ・ハチロー)とファッショ文学運動を始めるという記事が出た。

とある団体である。より詳しくは東京朝日新聞昭和7年2月6日朝刊に載っていて、
文壇側:三上於莵吉、平山蘆江直木三十五吉川英治、土師清二、鈴木氏亨、野村愛正、竹中英太郎岩田専太郎
軍部:(参謀本部)根本中佐、武藤少佐(陸軍省調査部)石井少佐、林大尉、鈴木中佐、坂田中佐、山ノ内少佐、松崎少佐、今村少佐ら12名
が同月5日芝浦の細川雅叙園に集まり、毎月5日に会合を開催することとし、五日会と命名したという。
この五日会だが、東京朝日新聞昭和13年7月12日夕刊の「大日本文学研究会」旗揚げの記事中に「満洲事変の時は三上於莵吉氏等が中心となつて文壇の右翼「五日会」が出来たがその後立消えとなつてをり」とあって、昭和7年2月の会合後すぐに休会になったのだろうと思っていた。
ところが、『団体総覧』(大日本産業総聨盟団体研究所、昭和9年9月)に愛国団体の一つとして記載されているのを発見。その内容は、

沿革 満洲事変を直接的契機として生る。
目的 軍部の愛国思想を大衆文学を通して国民の間に普及昂揚する。
役員 (軍部)根本、武藤(参謀本部)各少佐坂田 鈴木各中佐 松崎 今村各少佐 林大尉(文壇)直木三十五 白井喬二 三上於兎[ママ]吉 平山蘆北[ママ] 吉川英治 久米正雄 土師清二 野村愛正(画壇)竹中英太郎 岩田専太郎

ただし、同書の「編纂上に就いて」によると、編纂は昭和9年4月1日現在だが、やむを得ざる部分はそれ以前のものがあるという。また、原稿及び資料は各団体に対し直接回答を求めたもので、回答の無い分は研究所の資料のほか、官辺、諸団体の資料を仰いでいる所があるという。ということで、必ずしも五日会が昭和9年時点でも存在したとは言えないのだが、その可能性は高そうだなと思っていた。
更に、押田信子『兵士のアイドルーー幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争ーー』(旬報社平成28年4月)にも出てきたので驚いた。陸軍恤兵部が昭和7年9月発行した慰問雑誌『恤兵』は五日会が編纂したものだという。創刊号には、鈴木、直木、野村、土師のほか、菊池寛野村胡堂の名前も見える。また、「五日会に就て」として、

本誌の編纂に当たってゐる五日会は、満州事変に刺激されておこされた帝都在住文士の会合であります。本会はより良く軍部を理解し、これを国民に知らしむると共に、日本の現勢を正視して将来に備へんことを希つて居るものであります。そのために、毎月軍部の指導を仰いで会合を重ねて居ります。(略)

とあるという。確かに久米らが参加した五日会と『恤兵』を編纂した五日会は同一の団体と思われる。
なお、神奈川近代文学館が所蔵する創刊号を初めて紹介したのは押田氏だが、講談社が所蔵する26号(12年2月)から35号(13年7月)までを活用した先行研究として竹添敦子「山本周五郎と『陣中倶楽部』*1」(三重短期大学編『三重法経』110号、平成10年)があるという。五日会とは情報交換を目的(又は名目)とした飲み会ぐらいに思っていたのだが、雑誌の編纂までしていたとは、意外な事実であった。この編纂の実務は誰がやっていたのだろう。そして、久米は創刊号には執筆していないが、どの程度関与していたのだろうか。
(参考)海軍の慰問雑誌『戦線文庫』については、「敗戦前後の『戦線文庫』」で紹介した。

久米正雄伝―微苦笑の人

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兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争

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*1:『恤兵』は42号から『陣中倶楽部』と改題し、編集は五日会編纂部から大日本雄弁会講談社に移行した。