神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

二人のアナキスト、荒川義英と中山忠直は出会ったか?


『橋浦時雄日記』第1巻(雁思社、1983年7月)に荒川義英が出てきた。

大正4年10月8日 やるせなさに、午后百瀬君*1を訪う。宮嶋[原注:資夫]、荒川[原注:義英]等の客があった。


    10月22日 帰って、『早稲田文学』の荒川[原注:義英]君の「漂ふがまゝに」を読む。これは百瀬君が去年の暮、姫路へいったころから、荒川自身が九州へ下るに至るまでのことが、かいてあるが、無論事実ばっかりではないようだ。Hというのは僕であろうが、僕らしい気はちっともしない。若し僕とすれば僕の性格は少しも現れてないといえよう。僕ばかりではない。恐らく、出てくる五六人の人が荒川一流の警句じみた人物に殆んど全部ごっちゃになって、個性の描写を忘れたのか、出来なかったのか、まるっきりなっていない。たゞ荒川君一人の時にまア文章になっていると感ずるだけである。


  6年12月14日 そして百瀬君のところにも久し振りでいった。荒川君からの手紙を見た。支那ピーを素見しにいった記事がかいてある。今は生命保険の勧誘員をやっているらしい。


荒川が「一〇、五、一九一五」(大正4年5月10日のことと思われる)という日付と署名を書いた平民社訳(実際は幸徳秋水訳)クロポトキン『麺麭(パン)の略取』(平民社明治42年1月)を、東京古書会館で掘り出したのが黒岩比佐子さん。詳しくは、『文學界』7月号の「歴史のかげに“食”あり 最終回」を参照。


一方、中山忠直だが、中山啓訳『クロポトキンの経済学説』(三田書房、大正9年6月)は高畠素之序。同書の「凡例」で、「僕は社会批評の方面でのクロポトキンには感心してゐるが、社会を無政府共産主義に建てなほすと云ふ事には全く不賛成で反対の考を持つてゐる」と書いている。また、中山は、『日本アナキズム運動人名事典』にも出てこないので、アナキストだったとしても無名の存在なのかもしれない。


荒川と中山は、共通の知人が何名かいるようだが、中山は大正6年早稲田大学商科卒。その後報知新聞社に入社したようだが、荒川の亡くなる大正8年までに出会う機会はあったであろうか。


追記:国会図書館の「第148回常設展示」は「女學生らいふ」。

*1:百瀬晋