『無想庵物語』(山本夏彦著)から。
ここで無想庵は朝日のベルリン特派員黒田礼二(明治23年生)をはじめ、この地に滞在中の日本人の多くに紹介された。(中略)佐野学、麻生久と並んで独法の三羽烏といわれた秀才だとは聞いていた。はじめ「満鉄」にはいって欧州へ派遣され、帰ったら自分の席は大川周明に占められていたので、辞して朝日に転じたと自己紹介した。そのとき黒田が外人くさい首のちぢめ方をしたのに無想庵は気がついた。
(中略)
話は前後するが私は黒田礼二なら一度だけ見ている。色の黒い貧相な小男だったとおぼえている。(中略)黒田は日本へ帰って昭和11年朝日を退職、いくばくもなく17年に死んだという。
黒田が『無想庵物語』に出ていたのに気がついた。桜澤如一は、昭和4年から10年にフランスにいたから、黒田同様、無想庵らに会っていないかしら。
追記:加藤哲郎「ベルリン反帝グループと新明正道日記」(『ドイツ留学日記』(新明正道著、山本鎮雄編、平成9年4月刊)所収)は、ポーランド人妻をもつ黒田と、無想庵夫人文子との関係について『無想庵物語』に言及している)