神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

3年後に100周年を迎える森田慶一設計の楽友会館ーー京大総合博物館に展覧会を期待ーー


 『明治大正大阪市史編纂日誌(下)』(大阪市史料調査会、令和4年2月)が出たので、上下巻を借りてきた。『大阪市史』の続編『明治大正大阪市史』の編纂事業開始(昭和2年)から事業終了(昭和10年)までの日誌の翻刻である。冒頭いきなり楽友会館が出てきた。

(昭和二年)
四月
三十日(土)
午後二時ヨリ京都帝国大学楽友会館ニ大阪市史編纂会議ヲ開催ス。本庄榮治郎・小島昌太郎・汐見三郎・黒正厳・菅野和太郎・藤田敬三・浅野恵二七氏出席。左記事項ヲ協議決定シタリ。
(略)

 『明治大正大阪市史』の編纂会議をなぜ大阪ではなく、京都の楽友会館で開催したのかというと、編纂主任の本庄が京都帝国大学経済学部教授であったほか、出席者のほとんどが同学部又は農学部農林経済学教室の教員だったからである。そうではない菅野は彦根高等商業学校教授、浅野は経済学部卒業後日本銀行に勤めていたが大正13年から大学院で本庄に師事していた*1。『明治大正大阪市史編纂日誌(上)』の解題によれば、本庄は門下生である黒正・菅野・小島・汐見・近藤文二・武田長太郎・菊田太郎を主要執筆者として起用したという。
 現在も東大路近衞にある楽友会館は、2年前に京都国立近代美術館で開催された「分離派建築会100年:建築は芸術か?」にも出てきた。森田慶一設計で大正14(1925)年開館である。ということは、3年後に100周年を迎えることになる。京都大学総合博物館(又は京都大学大学文書館歴史展示室)で展覧会を開催してほしいものである。
 柳田國男の年譜*2を見ても、楽友会館は数回出てくる。昭和6年5月10日の近畿国語方言学会発会式などである。また、折口信夫の年譜*3にも出てくる。たとえば、昭和5年5月17日の民俗学会京都大会である。この時の折口の講演「門」の要旨(『日本心霊』掲載)は、西田直二郎の講演「年中行事と民俗研究」要旨とともに、10月末に刊行予定の『「日本心霊学会」研究ーー霊術団体から学術出版への道』(人文書院)に翻刻が菊地暁先生の解題とともに初公開されるので、刮目して待て。→「「日本心霊学会」研究 - 株式会社 人文書院

*1:ネットで読める竹中正夫「倉敷の信徒父子ーー菓子商浅野義八と息子恵二」『キリスト教社会問題研究』29号による。

*2:柳田國男全集別巻1』(筑摩書房平成31年3月)

*3:折口信夫全集36巻』(中央公論新社、平成13年2月)