神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

早稲田大学文学部長五十嵐力が残した学生による日本伝説集


 古書鎌田から入手した『旬刊写真報知』3巻24号(報知新聞社出版部、大正14年8月)には、「幽霊を見た話」として様々な怪談が載っている。その中に、四国のある寒村で若者達のいたずらにより沼に沈められ死んだ「おきく」のすすり泣く声が毎夜聞こえるという伝説が載っている。これは、大正13年早稲田大学文学部長になった五十嵐力が学生に郷土の伝説を書かせたものからの引用らしい。記事の冒頭に次のようにある。

 早稲田大学の文学部長五十嵐博士は長い間博士の講義を聞く生徒達から、その地方にある伝説と実話原稿を書かせたのだが、この原稿は実に全国にわたり、廿余冊の大巻になつた。博士はこの得か[ママ]たい、大冊を九月までにすつかりと整理して目次を付し、早大図書館に寄付することになつたが、こ [「の」欠]中にはまことに好調の実説が沢山あるのだ。その一説にかういふのがあつた。

 五十嵐が学生に書かせた郷土の伝説については、その一部の73話が『趣味の伝説』(二松堂書店、大正2年6月)に収録されている。同書の「小序」によれば、五十嵐は明治40年頃から作文の講義を受けた文科の学生に各自の故郷の伝説を書くように頼み、その原稿が千幾百篇になった。その20分の1を選び、加筆添削ではなく、元の事実と趣味をなるべく壊さないように新たに書き起こしたものが7、8分で、それに友人の寄稿数篇と自身の筆になるもの数篇を加えて本にしたという。この「千幾百篇」を含めて、後に「廿余冊の大巻」に纏められたと思われる。この日本各地の伝説集の原稿の行方は分からない。『早稲田大学図書館史:資料と写真で見る一〇〇年』(早稲田大学図書館、平成2年9月)には昭和8年6月五十嵐から明治文学初版本20数冊、雑誌数種の寄贈があった旨の記載があるだけである。
 『趣味の伝説』を改題し、『五十嵐力集』第6として刊行された『口碑珠玉』(酒井雄文堂、昭和5年5月)*1の「口碑珠玉序」では「半紙版、散葉綴、一寸位の厚さの一九冊」と言及しているので、昭和5年の段階では存在していたと思われる。『近代文学研究叢書』60巻(昭和女子大学近代文化研究所、昭和62年9月)によれば、五十嵐の自宅(甲鳥園)や文学部国文学研究室に設置された五十嵐力博士記念文庫は空襲で全焼したとあるので、被災を免れた早稲田大学図書館に寄贈されていなければ、焼失したことになる。はたして、早稲田大学図書館に今も残っているだろうか。
参考:「昭和5年に池田師範学校の平松朝夫教諭が集めた昔話・伝説ーー河童、鬼そして砂かけ狸ーー - 神保町系オタオタ日記

*1:『趣味の伝説』の73話のうち5話を削除し、10話を追加した78話を収録。昭和17年2月更に改題して、『日本伝説集』(第一書房)を刊行。五十嵐死後の昭和31年9月第二書房から53話収録の新書版『ふるさとの民話』として刊行。