神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『雑誌「趣味」の研究』を斜め読みーー稲垣達郎が『趣味』を拾った古雑誌専門店柴善と家根谷書店ーー

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尾形国治・小仲信孝編著『雑誌「趣味」の研究』(昭和59年4月)は、股旅堂から3000円位で購入。目次の写真も挙げておく。
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国会図書館にもないが、「あとがき」に「早稲田大学図書館、日本近代文学館国立国会図書館東京都立大学附属図書館、昭和女子大学近代文庫、以上、各図書館の所蔵本を閲覧させて頂きました」とあるのに、納本していないとは失礼な話である。尾形国治「解説」によると、第1次『趣味』は明治39年6月創刊で、43年7月までに50冊刊行。第2次『趣味』は明治45年6月から大正3年1月までの9冊が確認されている。発行所は、彩雲閣→易風社→趣味社と変遷。編集者の出入りについては、

すなわち創刊当初の易風社同人のグループ(水谷不倒、西本翠蔭、東儀鉄笛、土肥春曙、中井浩水、水口薇陽)から、水谷不倒へ、そして西本波太(翠蔭)へと変り、さらに第二次では西本弥助から西本波太(翠蔭)へと変る。

とある。
総目次は、本書刊行当時は貴重だったと思われるが、その後不二出版から復刻版が刊行され、更に現在では「ざっさくプラス」(6月10日まで無償公開中)でも検索できるようになっている。ただし、総目次には「文芸界消息」の内容が転載されているので、復刻版の各号を見なくてもまとめて読めるので便利である。例えば、東雅夫編著『文豪たちの怪談ライブ』(ちくま文庫、令和元年8月)の137頁に明治41年4月~5月の『趣味』「文芸界消息」欄に文士連による「怪談研究会」結成の動きが報じられたとあるが、その内容が分かる。

明治41年4月号 文士連によりて妖怪迷信等の研究会発起せられつゝあり。
同年5月号 怪談研究会は愈成立し、毎月一回会合して、内外の怪談について研究すべし。

その他、明治43年5月号の「文芸界消息」には、「露国人エリセーエフ氏は毎月第三土曜に同志を会し露西亜文学談を試みつゝあり。先月廿三日には昇小宮小林氏等数人会合せり」との記載がある。「昇」は昇曙夢、「小宮」は小宮豊隆、「小林」は小林愛雄だろう。
稲垣達郎「雑談「趣味」との出会い」も面白い。稲垣が『趣味』を最初に手にしたのは「早稲田号」(明治40年7月)で、帝大正門前の古雑誌専門店「柴善」で山積みの雑誌の中から出てきたという。大正末期で、山口剛先生や尾崎一雄ら1年先輩の影響もあって、江戸時代文芸との付き合いがやや深まっていた頃だったとあるが、稲垣は昭和2年早稲田大学文学科国文学専攻卒である。「グーグルブックス」によれば、多くの人が雑誌を拾っていたようだ。
また、稲垣は拡大号「文豪国木田独歩」(明治41年8月)が一高裏の古雑誌専門店の「家根谷(ルビ:やねたに)書店」の雑然とした下積の中にあったとも書いている。ひどくごたごたしていた店で、「紙屑屋」と蔑称していたらしい。この「家根谷書店」も「グーグルブックス」で検索すると、柳田泉が『明治の書物・明治の人』(桃源社、昭和38年)に家根谷書店で拾った雑誌に付けられた値段を示す符牒を解読したことを書いているようだ。こういう古雑誌専門の古書店が今もあったら、宝の山だろうなあ。
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ついでに、文庫櫂で入手した『趣味』翻訳号(明治42年7月)の目次も挙げておく。バカでかい「晴歩雨読楼書屋」の蔵書印が押されている。表紙は、中村不折。誰ぞの好きな本箱の広告も載っていたので、これをおまけに。
追記:大正14年3月現在の『全国書籍商組合員名簿』(全国書籍商組合連合会、大正14年5月)に本郷区森川町1の柴善書店(柴屋善蔵)が載っている。
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