四天王寺秋の大古本まつりは、明日10月7日(金)から。今回Cosyo Cosyoが参加されないのが、残念。冒頭の写真は、4月に開催された四天王寺春の大古本まつりで同店の均一台から見つけた雑誌『月明』5巻5号(月明会、昭和17年6月)である。同誌の発行人である山崎斌については、「草木染の命名者山崎斌が創刊した雑誌群ーー『青年改造』『旅行と文芸』『芸術解放』『文学』『橙』『月明』などーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。
表紙は山本丘人、裏表紙は前川千帆である。目次を挙げておく。「飛騨雲龍寺」の平塚運一とは、大正11年6月に雑誌『旅行と文芸』を創刊した仲である。『平塚運一展:木版画に捧げた102歳の生涯』(東日本鉄道文化財団、平成12年)の年譜によれば、昭和17年は平塚が手ほどきした作家が集まり、「きつつき会」(畦地梅太郎、上野誠、小川龍彦、柿原俊男、北岡文雄、黒木貞雄、下沢木鉢郎、武田由平、中川雄太郎、橋本興家、前田政雄、武藤完一、棟方末華ほか24名)が結成された年である。また、法隆寺五重塔が解体されると聞き、その姿を永久に伝えようと《斑鳩寺初秋》を作り、文展に出品している。
「草木記(一)」の「なづな」を寄稿した水野葉舟と山崎がいつからの付き合いかは、不明。『近代文学研究叢書61巻』(昭和女子大学近代文学研究室、昭和63年10月)によれば、水野の第2歌集『滴瀝』(昭和15年9月)*1の装幀を山崎が行っている。
本誌には月明会出版部の近刊情報があり、水野の『食べられる草木(上)』が載っている。これは、月明文庫として上巻が昭和17年7月に、下巻が18年5月に刊行された。前記『近代文学研究叢書』によると、水野は昭和3年9月現成田市駒井野で3千坪の畑地に家を立て、妻子を連れて移り住んだ。「草木記」でも原野にはえる草木を観察したり、食べたり楽しんでいるようだが、妻文は農耕生活に順応できず、2児を連れて別居していたという。