神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治42年石原忍が横浜正金銀行ロンドン支店の氏家洗耳宛に送った故医学士小川三紀記念奨学資金計画の案内葉書


 今年も平安神宮前で古本まつりが開催された。シルヴァン書房も出店し、寸葉品(絵葉書など)も出品されていた。絵葉書を数枚購入したので、そのうち1枚を紹介しておこう。明治42年石原忍が横浜正金銀行ロンドン支店内の氏家洗耳宛に送った年賀状である。石原は、石原式色覚異常検査表で著名な医学者である。学校の健康診断、資格試験や採用試験で検査を受けた人も多いだろう。例によって絵葉書の表面(宛名面)を見ながらシャカシャカしていたら、石原の名前を見つけたので買ってみた。800円。
 須田經宇『石原忍の生涯:色盲表とともに五十年』(講談社、昭和59年3月)の年譜によれば、石原は明治31年一高入学、34年9月東大医科入学、38年12月東大医科卒業、41年12月東大大学院入学、43年12月陸軍軍医学校教官である。一方、氏家は『第一高等学校一覧』や『東京帝国大学一覧』で調べると、34年7月第一高等学校大学予科英法科志望卒、38年7月東京帝国大学法科大学法律学科(英吉利法兼修)卒業である。石原とは一高や東大で同期だったことになる。
 文面は、昨年(明治41年)10月小川三紀が死亡し、同窓で鳥類研究に関する奨学基金募集の計画をしていて、氏家も同窓の好を以て発起人に加えたいので承諾してくださいというものである。調べてみると、確かに小川も34年第一高等学校大学予科医科志望卒、38年東京帝国大学医科大学卒業である。
 小川の経歴は、山階鳥類研究所のホームページ「小川三紀について|山階鳥類研究所」に出ていた。明治9年静岡県生まれで、41年32歳で亡くなっている。小川を記念した奨学資金については、『東京帝国大学一覧:従明治四十三年至四十四年』によると、43年9月380円が鳥学及び比較解剖学奨学資金として寄附され、一定期間据え置き利殖し、500円に達すれば利子で理科大学内における鳥学及び比較解剖学に関する研究費・標本購入費に充てるという。
 小川は若くして亡くなったが、奨学資金の発起人に誘われた氏家も長くは生きていられなかった。日本銀行調査局編『日本金融資料昭和編35巻』(大蔵省印刷局、昭和49年5月)145頁に斎藤虎五郎(日本銀行元営業局調査役)の発言として、次のようにある。

クラスメートと言えば(略)英法の一番だつた氏家洗耳君は第一次世界戦争の頃、正金のロンドン副支配人から本店の副支配人に転勤の途中、地中海でドイツの潜航艇にやられ一家沈没死亡したのですが、実に有為の大人物でした。

 石原は、戦後「正規陸軍将校」を理由に公職追放になるが、昭和38年1月84歳まで長生きしている。