神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治44年小川一眞が撮影した少女小宅﨑子ーー岡塚章子『帝国の写真師小川一眞』(国書刊行会)刊行ーー


 岡塚章子『帝国の写真師小川一眞』(国書刊行会、令和4年4月)が刊行された。日本写真史も一時期関心があったので、小川の名前は知っている。しかし、詳しいことは知らないので読んでいるところである。小川がどういう人物かは、本書の「はじめにーー写真メディアの体現者・小川一眞」から引いておこう。

 小川一眞は、明治中期から大正期にかけて、写真撮影から印刷、出版、乾板製造など、写真を軸とした一連の事業を展開し、写真師で唯一、帝室技芸員を拝命した人物である。小川一眞という名前は一般には知られていないが、一九八四ー二〇〇七年に発行されていた千円札に使われていた夏目漱石の肖像は、小川一眞が撮影した写真をもとに制作されたものである(図1)。よって、間接的ではあるが、かつては誰もが小川の写真を目にしていた。

 帝室技芸員就任は明治43年10月、漱石の撮影は大正元年9月である。この間に撮影された少女の写真を持っている。冒頭に挙げた写真である。寸葉会*1で、ひげ美術から購入。千円。「K.Ogawa」と印刷されていて、小川一眞と思われる。ただし、本書55頁に載る永井荷風一族の写真(明治18年)の裏面に印刷されたサインとは微妙に異なる。
 写真の裏面には、「明治四十四年十月十二日写ス/小宅﨑子十六才」とある*2。「小宅」は珍しい苗字で、「日本人物情報大系人物検索フォーム」(皓星社)では1人もヒットしない(追記:同検索フォームでは、そもそも姓だけのような部分一致の検索はできないようだ)。「人事興信録データベース」では「小宅正造」(おやけ・しょうぞう)という明治8年生まれの兵庫県に住む岩見銀行常務がヒットした。ただし、﨑子とは関係がなさそうである。
 本書400頁によると、日吉町の小川写真館は大正7年10月閉業。明治42年以降に撮影した写真ネガは保存してあるので、ネガ番号を連絡すれば特別料金で譲るとの広告を出したという。本写真の裏面に「D/2002/乙」とあるが、これがネガ番号だろう。

*1:シルヴァン書房の矢原さんが主催する絵葉書など紙ものの骨董市

*2:本写真だけでは左右どちらが﨑子か不明だが、もう1枚出品されていた写真と共通する左側の少女が﨑子かと思われる。