神保町系オタオタ日記

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五十殿利治先生もビックリ⁉大正9年大手拓次が観た大正期新興美術運動ーー「日本における最初のロシア画展覧会」と「イムレイ・フェレンツェの展覧会」

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 分離派建築会作品展は、大正9年から昭和3年まで開催された。また、五十殿利治ほか『大正期新興美術資料集成』(国書刊行会、平成18年12月)の年表も大正9年から昭和3年までが対象とされている。これは、偶然ではあるものの、両者がシンクロする時代でもあったと言える。分離派建築会作品展を観た人の日記を探索する旅はまだ続くが、画家や詩人の日記に出てきそうな予感がある。今回紹介する詩人大手拓次の日記に分離派建築会作品展は出てこなかったが、大正期新興美術運動関係の展覧会が出てきて驚いた。瓢箪から駒である。
 『大手拓次全集』第5巻(白凰社、昭和46年8月)から引用しよう。

(大正九年)
九月十四日 火
 午後四時半頃逸見氏と店を出て松坂屋ハンガリーの画家の画の展覧会をみた。
(略)

十月十九日 火 (略)
 午後三時頃逸見、ハマヲ三人で、星製薬会社の三階に、ロシア未来派画家の展覧をみた。たいしたものではない。意気は愛すべし。その稚気と大たんと破かい的精神とを同感した。(略)

 松坂屋で観たハンガリーの画家の展覧会は、五十殿『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア、平成7年3月)によれば、ハンガリー人のイムレイ・フェレンツェが9月10日から開催していたものである。星製薬で観た「日本における最初のロシア画展覧会」については、「展覧会場としての星製薬 - 神保町系オタオタ日記」参照。この両方を観た人の日記が存在するとは。五十殿先生に届けばいいなあ。
 なお、日記中の「逸見」は、逸見享である。拓次の死後、『詩日記と手紙』(龍星閣、昭和18年12月)を刊行している。
参考:「大正期における展覧会場としての星製薬ーー分離派建築会第3回作品展も星製薬だったーー - 神保町系オタオタ日記