1月23日午後1時からZoomで第4回「オカルティズム史講座」が開催されるようだ。
吉永進一「日本のピラミッドと超古代の夢:1930年代」
ヤニス・ガイタニディス「出版スピリチュアリティ:精神世界の出版社と翻訳者」
吉永さんの日本のピラミッド関係は、特に熱の入ったものになりそうだ。というのも、酒井勝軍『太古日本のピラミッド』(国教宣明団、昭和9年7月)→武内裕『日本のピラミッド』(大陸書房、昭和50年12月)→横山茂雄・吉永進一らの『ピラミッドの友』(近代ピラミッド協会、昭和52年11月創刊)という系譜があるからだ。講座で取り上げられるはずの酒井がいなければ、近代ピラミッド協会は存在しなかった、ひいては宗教学者としての吉永さんも存在しなかったのである。
ところで、大場磐雄『楽石雑筆』*1を読んでいたら、酒井やそのエピゴーネン上原清二が出てきて驚いた。
(昭和十二年)
◎六月七日(略)八軒町に角竹喜登氏*2を訪う。同氏は県の史蹟調査員たるのみならず、水無神社史料調査を嘱託せらる。(略)
抑々位山の巨石群を注意するに至りしは、昭和十年八月下旬にして、河崎宮司(水無神社宮司河崎正直ーー引用者注)の注意あり、角竹氏を始め一行十数人にて八月二十四日第一回の登山を行いしが各所に巨石群の存在を知り、大いに興味を喚起せられ、再来十数回の登山となり、地方における注目の的となれるなり。又高山市の上原清二氏の如きは、同山を調査せし酒井勝軍の奇説を信じて、これを高天原とし、巨石を太陽神の祭場又は神武天皇の御陵等と称し、発表せしことあり、河崎宮司はこの解決を神社領有地の拡張問題と結びつけてその神聖なる遺跡及び、位山と神社との関係、三代実録に見ゆる愛宝山を位山とする等、各種の方面より密接なる関係ありしを説かむとす。果して然るや否や大いに考究の問題たりと思考せらる。
「酒井勝軍の奇説」と呼ばれてますね。上原の『日霊国:飛騨神代遺跡』(上原清二、昭和16年4月)の「はしがき」によれば、酒井と上原の出会いは、次のとおり。
私が飛騨の調査に着手致しました事は、昭和九年九月酒井勝軍氏を当地へ迎へて其講演を聞きました所、我飛騨が神代の中心であつた事を知り、其上、上野平の平面ピラミツドの鑑定を聞きまして、茲に始[ママ]めて調査の端緒を得たのであります。
酒井による葦嶽山ピラミッドの発見は昭和9年4月なので、飛騨上野平の平面ピラミッド(この形容矛盾……)はそれに続く発見となる。上原は、神宮奉斎会高山支部長・陸軍大佐。八幡書店による『神日本』復刻版第二期付録解説編の「神日本の人々」に詳しいようだが、未見。戦後も懲りずに(?)、『太古之日本』(飛騨神代遺跡研究会、昭和25年2月)や「飛騨神蹟について」『神霊文化』9巻6号,昭和32年6月を執筆している。
*1:『大場磐雄著作集』第7巻(雄山閣出版、昭和51年1月)
*2:「角竹 喜登とは - コトバンク」参照/