神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

江馬務の江蔭会が創刊した雑誌『好』(大正15年)

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江馬務が主宰した風俗研究会(風俗研究所)の機関雑誌『風俗研究』はよく見かける雑誌で、私も
『風俗研究』138号(風俗研究所、昭和6年11月)で見る風俗研究会の二十年 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した1冊を持っている。「妖怪の史的研究号」(20号,大正8年11月)や「妖怪変化号」(87号,昭和2年8月)も入手したいところである。さて、今回は江馬関係では滅多に見かけない『好』(美術図書出版部)という雑誌の話を。平成29年みやこめっせの古本市で玉城文庫出品。1巻1号(大正15年4月)と1巻2号(同年7月)を入手。
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目次*1も挙げておく。1号の口絵「元禄遊女花見姿」と6頁の一部が切り取られているのが残念。九州大学附属図書館も2号までしか所蔵しておらず、後が続かなかったか。ただし、裏表紙には「第一巻六号完結」とあり、少なくとも6号までは予定していたようだ。以前「国会図書館サーチ」を検索した時は、熊本県立図書館所蔵の1号もヒットしたが、今は見当たらない。デジタル化作業中の「山崎文庫・雑誌コレクション」に属していて、OPACから削除されたのだろう。
「『好』発刊に際し我が江蔭会の事ども」によれば、大正11年11月風俗研究所で風俗史特別講座が開講。13年8月学友会兼同窓会として江蔭会を設立。講座の規模が拡大し、14年4月淳風学院を創立。講義も文学士小笠原秀実の美学・美術史、那智俊宣(鈴木鼓村)の音楽史が追加された。江蔭会は講師を顧問とし、13年9月以降例会を開き、各自研究の報告、見学旅行等を行ってきたが、研究発表の場として雑誌『好』を発行することとなった。江馬「『好』発刊の辞」には、『風俗研究』が純日本風(和装)で挿画も木版凸版、内容も極めて高尚なのに対して、『好』は洋装で、くだけて通俗的を主とし、挿画も写真を用いて『風俗研究』の短を補いたいとある。また、『好』の編輯者川那部澄は京都市立工業の教諭で風俗研究会幹事、淳風学院研究員だという。
その川那部が書いた「昔の店と今の店」を紹介しておこう。古代から現代までの我が国の商店建築の構造を通観すると、6形式に分類できるとし、ショーウィンドーの登場を第5種の形式としている。
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天狗倶楽部のバンカラ画伯小杉未醒が描いた明治期銀座のショーウィンドー ーー人文研における竹内幸絵先生の報告を聴いてーー - 神保町系オタオタ日記」で竹内幸絵先生の研究を紹介したが、風俗研究所の川那部もショーウィンドーに関心があったようだ。
ところで、2号の「江蔭会記」に嬉しい発見。3月都ホテルで第一高女国専科を卒業した6人の女性会員を祝ったという記事の中に、「與さん」の名前がある。「小笠原秀実の白塔歌会の会員だった福田與 - 神保町系オタオタ日記」で言及した福田與(大正15年3月京都第一高等女学校国漢専攻科卒)だろう。確かに風俗研究会の会員であったのだ。
(参考)「『田代善太郎日記』に風俗研究会や仏教児童博物館、はたまた嵯峨断食道場 - 神保町系オタオタ日記
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*1:2号の江馬のラヂオ風俗劇は目次では江馬務だが、本文では江馬淳風