神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

天狗倶楽部のバンカラ画伯小杉未醒が描いた明治期銀座のショーウィンドー ーー人文研における竹内幸絵先生の報告を聴いてーー

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昨年11月に人文研で開催されたシンポジウム「みることの広がりーー1910-20年代の展覧体験ーー」は、特に竹内幸絵同志社大学教授の報告が興味深かった。
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「ショーウィンドーはなにをみせたのかーー黎明期の全国的な流行から考える」と題し、明治末から大正初めに全国に普及したショーウィンドーについて、画期とも言える時期の概観と、ショーウィンドーが近代日本の市井の人々にもたらした体験に迫ったものである。
ショーウィンドーそのものは残らず、記録した史料も限られるので研究には苦労されておられるようだ。最初の例として、明治29年高島屋京都店による「流行品見本場」の看板が電飾された写真が残されているという。その後、36年三越白木屋などが続く。更に41年の『商業界』に東京、横浜、名古屋の小売店「店舗評判記」が掲載されていて、大都市の小売店へ設置が進展したことがうかがえるとある。早稲田大学に残っているのを発見した『ウヰンド画報』(大正4年7月創刊)にも言及されていた。これは、CiNiiではヒットしないが早稲田大学図書館のOPACで検索すると確かにある。CiNiiでヒットしないからと言って、諦めてはいかんなあ。同誌掲載の写真では地方の店舗に多数設置された状況を確認している。
ショーウィンドーの初の概説書は土屋長吉『店前装飾術』(実業之日本社明治38年6月)だという。「ショーウィンドー」の雑誌での使用例をざっさくプラスで検索すると、無記名の「店内装飾とショーウィンド」『流行』明治42年11月号が最初で85件ヒット。新聞データベースでは、明治42年5月5日読売新聞朝刊の「商店訪問記(六)」が最初で「飾窓」に「シヨーウインド」のルビがあった。「飾窓」をざっさくプラスで引くと無記名の「東京商店飾窓ーー(画)」『旅』7号(報知社、明治36年6月)が最初の例で368件ある。明治42年頃から「飾窓」から「ショーウィンド」に変わり始めたのだろう。もっとも、その後も「飾窓」の使用例の方が圧倒的に多い。「店前装飾」は余り使用されなかったようで、ざっさくプラスで25件。*1
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ところで、ショーウィンドーの絵葉書は持っていないが、天狗倶楽部のバンカラ画伯小杉未醒が描いた挿画を見つけたので、写真を挙げておく。原本は持ってないが、東京通人・小杉未醒『東京四大通』(左久良書房、明治40年)である。佐藤志乃『バンカラの時代:大観、未醒らと日本画成立の背景』(人文書院、平成30年8月)に掲載されていて、銀座の「店頭装飾」の紹介で、挿画について佐藤氏は「ショーウインドウにバイオリンや蓄音機、時計が並び、万国旗が垂れ下がる」と説明している。原本の本文にどのような記載があるのか見たいが、国会図書館にもなく、古書価も高いので見れんなあ(´・_・`)挿画には、確かにヴァイオリンのような物が置かれているのが見える。「明治30年代後半の女学生におけるヴァイオリンブーム - 神保町系オタオタ日記」で言及したが、この頃は女学生の間でヴァイオリンブームがあった。銀座のショーウィンドーにヴァイオリンを見つけたハイカラな女学生が父親におねだりするようなこともあっただろうか。

バンカラの時代: 大観、未醒らと日本画成立の背景

バンカラの時代: 大観、未醒らと日本画成立の背景

*1:他に「店窓」の呼称もあった。