神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和13年渡仏する宮本三郎画伯を見送る三角寛

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三角寛のサンカ小説と挿絵を描いた宮本三郎については、「ようやく解けた謎の宮本三郎『サンカ画集』 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。私は世田谷にある宮本三郎記念美術館は何回か行ったことがあるが、「宮本三郎三角寛のサンカ小説展」のようなものは、まだ開催されていないと思う。もしもそのような展覧会が開催されることになったら、最近シルヴァン書房から宮本の三角宛の葉書を入手したので貸してあげよう。昭和13年10月25日付け(同月26日付け大崎局消印)で、宮本三郎文枝夫妻から豊島区雑司ヶ谷の三角宛である。文面は印刷で、出発の際に見送りされたことへの礼状。『没後35年宮本三郎展ーー留学・従軍・戦後期を中心にーー』(神戸市立小磯記念美術館、平成21年10月)の年譜によれば、宮本は昭和13年10月に「挿絵の仕事が過労となり、心配した妻・文枝が仕事から離れる目的で計画したヨーロッパ旅行に夫婦で出発。神戸より箱根丸で渡仏する」とある。あらかじめ印刷しておいて、投函は誰かに依頼したかもしれない。宛名書きも依頼したのだろう。
同年譜から、昭和13年までの宮本と三角の関係を見てみよう。

昭和7年11月 三角寛『昭和妖婦傳』(新潮社)の装幀を担当
昭和11年4月 挿絵を担当した三角寛の小説「歓楽女王の懺悔」の連載が『日の出』で始まる(4~5月号)

今回三角宛の葉書が1枚見つかったが、最近三角の旧蔵品が処分されて出回っているのだろうか。