一時期健康法とか霊術関係の本を熱心に読んでいた。田中聡『健康法と癒しの社会史』(青弓社、平成8年9月)もその一冊である。同書26頁に昭和初期における健康雑誌の登場に関する記述がある。
昭和初期には、『健康時代』(昭和五年=一九三〇年創刊)や『健康日本』(昭和七年=一九三二年創刊)などといった健康雑誌が出版されている。それまでにも『家庭娯楽 衛生新報』(明治三十七年=一九〇四年創刊)などの衛生啓蒙の雑誌はあったが、「健康」という言葉を冠した一般向けの読み物雑誌は、(あくまで入手できた資料の限定のなかで言うことだが)この頃に初めて登場してきたように思われる。(略)
写真の『かゞやき』2巻5号(かゞやき発行所、昭和9年5月)も表紙に「心とからだの健康雑誌」と冠されている。54頁、どこかの古本市で吉岡書店から500円で購入。内容は真面目なもので、霊術とか怪しげな健康法が出てこないのでやや迷ったが、京都で発行されていることや、西田天香や武田五一が執筆しているので購入。府立京都学・歴彩館が2巻1号(昭和9年1月)を所蔵。
編輯兼印刷人は日置昇平。発行人は京都市上京区出雲路内河原町の新江ゆう、発行所のかゞやき発行所も同所在地である。
目次は写真の通りで、武田の「我が住宅」は、現存しないが武田邸の各部屋についての詳細な説明である。何度も名前があがっている富田精は医師で、房子は妻である。この雑誌は、実質的には富田夫妻の病院が発行していた健康雑誌のようだ。富田の経歴は、『日本医籍録』(医事時論社、昭和11年7月11版)から要約すると、
富田精 出雲路内河原町
内科 富田病院 明治17年生
福井県出身。大正7年京大医学部卒。卒業後、新町に開業。傍ら京大内科で研究。昭和2年医学博士。14年現地に分院開設。13年私立産婆学校創設。白木山分院を目下建築中。
現在も社会福祉法人京都博愛会冨田病院として存在するようだ。妻の房子は、「冨田ふさ」としてWikipediaに立項されているが、明治26年生、東京女医学校卒の産婦人科医。昭和22年初の女性衆議院議員となり、29年没。
京都の医師で西田天香と交流があれば、小林参三郎や静坐社とも関係があるかもと思ったが、今のところ不明である。
参考:「京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に静坐社の記事が」