神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

CIE図書館が生んだ芥川賞候補作家久坂葉子

嵐山のロンドンブックスでだいぶ前に買った『久坂葉子の手紙』(六興出版、昭和54年9月)を読んでると、CIE図書館が出てきた。昭和25年1月26日付け川崎澄子(久坂の本名)から友好安子宛の書簡で、

(略)
今、一人の女性をかいてます。
C、I、Eで、昨日、一時間十枚のスピードで三十枚かきました。
百枚前後になるでしよう。
(略)
題を「晶子礼讚」としてますが、改題しようと思つてます。(略)

「C、I、E」はCIE図書館のことだろうと思ったら、26年5月12日付け斎田昭吉宛葉書に「CIE図書館にて/久坂葉子」と書かれているので、推測は間違いなかった。CIE図書館は、敗戦後GHQのCIE(民間情報教育局)が設置した図書館である。当時久坂は神戸市生田区山本通に住んでいたので、同区三宮一丁目三宮ビルにあった神戸CIE図書館だろう。『日本教育年鑑』1950年版(明治書院、昭和25年4月)によれば、23年6月開館、302坪、収容人員192人。無料で開架図書を自由に閲覧できたが、久坂は本を読むよりも執筆活動に使っていたようだ。「青空文庫」で読める「久坂葉子の誕生と死亡」にも、昭和25年頃として

その頃、私は喫茶店につとめていた。一週間に、二度か三度 、手伝いに行っていた。一日働いたら三百円であった。休みの日は、朝から、インキ壺と原稿用紙をもって、CIEの図書館へ通った。ストーブがあって暖いのである。一時間に十枚位のスピードで、やたらむたらに書きまくった。

とある。久坂の芥川賞候補となった「ドミノのお告げ」(『作品』5号、25年6月)は「落ちてゆく世界」(25年1月11日脱稿。『VIKING』17号、25年5月)を改作したもの*1なので、CIE図書館で書かれたものと見てよいだろう。芥川賞候補作家久坂葉子は、CIE図書館で誕生したのだ。

*1:久坂葉子全集』3巻(鼎書房、平成15年12月)「久坂葉子著作目録」、佐藤和夫「解説」参照