神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

臨川書店の古書バーゲンで井上活泉編『恩光集』(国文社、昭和15年6月)

臨川書店の月1回のバーゲンで100円。非売品、277頁。国文社は、京都市下京区猪熊通七条南入に所在。状態は良くないが、山室軍平の遺稿「心の病と其の救治」や生長の家総裁谷口雅春「他のために」などが載っているので、拾う。井上という人物は知らなかったが、生島吉造・松井全共編『同志社歳時記』(同志社大学出版部、1975年2月)によると、本名井上善吉(1870-1944)は、丹波八木町出身で、同志社英学校に学び、徳冨蘆花と親交があった。活泉堂薬局、丹波青年社を経営した。その他本書への寄稿文によると、同志社英学校卒業後、綾部高等小学校で英語の教師を務めたが、新島襄没後、同志社理科学校(ハリス理化学校のことか)に再入学したようだ。
本書の構成は、昭和15年が井上の古稀皇紀2600年と新島の50回忌に当たることから、それらに関する寄稿と、昭和14年5月に開催された亡父堰水30周年記念の記録などからなる。父堰水は、検索すると徳富蘇峰記念館の「手紙アーカイブ館」がヒットし、「新庄小学校初代校長、園部高等女学校校長」だったことがわかる。
本書から幾つか引用しよう。医学博士酒井谷平「自然療法とは何ぞ」には、

薬物の助けを借らないで、一に自然の力に依りて凡ゆる病気を治療するので、空気療法、水療法、土療法がその主なるものであります。

この酒井も何かあやすーぃ人のような。
井上の「逝きし先輩諸賢に就て」は、蘆花、落合直文同志社教師デビスなどの追憶を書いているが、講演を依頼した松村介石について引用すると、

当時公会堂の東隣、旧亀岡城址には、例の大本教が日の出の勢で豪壮なる建築物を造り、各方面から雲の如くに来集して居つた際で講演傍聴に大本信者の顔は沢山見へた。すると先生は演説の中頃に、大声叱呼して大本の邪教なることを痛論せられ、聞く私にすらヒヤツとしたことが幾度もあつたが、誰れ一人反対の声を放つものなく、何れも沈静謹聴して居つた。私は如何に先生が正々堂々、自己の所信に忠実であつたかと驚嘆したのである。
(略)
先生嘗て亡父堰水、還暦を祝する為め左の文字を贈らる。
我れ己(ママ)に死す、今我が生くるは基督我に在りて生る也。
井上堰水兄の還暦を祝し、平生の覚悟を書して贈る。 松村介石