神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

政界往来社の木舎幾三郎と難波英夫

難波英夫が主幹、支配人を務めた政界往来社は、『日本出版百年史年表』によると、

昭和5年8月1日 政界往来社創業(木舎幾三郎,1896.8.1〜)、<政界往来>創刊。政界関係書出版[昭和26.9.1株式会社に改組]

木舎は、昭和52年2月9日付読売新聞の訃報によると、

木舎幾三郎(きや・いくさぶろう)(政界往来社社長)
8日死去。81歳。広島県府中市出身。喪主は女婿、西谷善雄氏。時事新報記者を経て昭和5年政界往来社を創立。

「雀隠れ日記」の「難波英夫の道草」によると、難波はごく若いころ政界往来社の社長と知り合ったという。難波は、大正7年時事新報社に入社しているので、同社で木舎と知り合ったのだろう。大正9年4月12日付東京朝日新聞掲載の木舎著『平民宰相原敬と其周囲』(戦後経営調査会)の広告に、「現時事新報政党記者」とある。

政界往来社は、戦後いわゆる「G項該当言論報道団体」に指定され、木舎は「政界往来社長」を理由として公職追放。なお、難波は自分は編集局長ではないから公職追放になるのは事実無根と言っているが、主筆又は主幹も公職追放に該当するので、公職追放されても文句を言えない立場である。やはり追放を解除されたのは公職資格訴願審査委員会委員長だった宮城実のおかげであろう。

(参考)新聞記者としての難波英夫

「大正十一年版日本記者年鑑」
大阪時事新報社会部長(大正一〇、四東京本社より転ず)[新聞歴]京城日報[思想]自ら進んで標榜すべきものなし。[現住]大阪市北区梅田三二六
「大正十三年版日本新聞年鑑」
前大阪時事新報社会部長(新聞暦)京城日報・時事新報(現住)大阪府南河内郡野田村新文化
「昭和二年版日本新聞年鑑」
東京毎夕新聞編輯局長。(経歴)京城日報、時事新報、大阪時事新報、解放新聞。(趣味)文学、特に安芝居(現住)本郷区西須賀町十三

(参考)「政界往来社時代の難波英夫」(7月8日

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藤澤の年譜はあわてて作ったせいか、漏れが多く、しこしこ追記中。