神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

政界往来社時代の難波英夫

「雀隠れ日記」では「マルクス書房」のエントリーなど、最近よく出てくる難波英夫。難波と言っても、「難波弘之なら知ってるが・・・」と思ってしまった、オタどん(汗)。
さて、難波は菊池寛の紹介で政界往来社に勤めたそうだが、真崎甚三郎の日記にその時代の難波を発見した。

昭和15年12月16日 野田久太十二時半に来訪、政界往来の記者にして真崎大将時局談と題し雑誌の原稿を携へ予の点検を乞ふべく来れり。予は原稿に目を触ることなく直に不都合を感じ、玄関に出で一喝を喰はせり[ママ]たり。本人は直に取消すとて立ち去れりと云ふ。予は直に経済[ママ]往来社に電話をかけ、事の次第を通じ其の不都合を語り手続を取ると申渡せしに、少時猶余[ママ]を乞へり。(略)
難波英夫十四時半に来訪、政界往来社の主幹にして野田の不都合を謝し、雑誌の印刷を終りあれば本文丈を切り取り表題目録は其の儘にて我慢出来ざるやと云ふ。予は断乎之を拒否せしかば、新に刷り換ゆると称し立ち去れり。
難波十八時に来訪、全部刷換ゆることとし、編輯後記に予の名前あること丈は許されたしと云ひしにより、予も此丈は譲歩せり。

注:[ ]は、校訂者による註記。カタカナをひらがなに改めた。

難波の名前は『現代出版文化人総覧 昭和十八年版』の「出版従業者一覧」にも見え、政界往来社の主幹、支配人と記載されている。

追記:「雀隠れ日記」さんに完璧に補足していただきました→「難波英夫の道草」(http://d.hatena.ne.jp/yukunoki-a/20110708/p1