神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

たにまち月いち古書即売会で『宗教と藝術』流行親鸞批判号(大正11年)をーー宮本常一と『創作親鸞』を書いた三浦関造ーー

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 今月のたにまち月いち古書即売会は無事開催された。古本横丁の和本1冊300円コーナーでは4冊ほど購入。このコーナーはおそらく江戸期の優品を抜いた残り物の処分なのだろうが、時になぜこれを300円均一に出すのかと思うような掘り出し物が出たりする。そのため、要注意である。今回は特に激戦区と化し、30分ほどでガタガタに。どひゃあという本は拾えなかったものの、『宗教と藝術』流行親鸞批判号(宗教と藝術社、大正11年12月)は、嬉しい1冊。発行所の「宗教と藝術社」は、龍谷大学文藝部内に所在。編輯及発行人は梅原真隆。
 大正期の親鸞ブームについては、大澤絢子『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩書房、令和元年8月)に詳しい。大正11年からの数年間で主に文芸界がこのブームを先導し、親鸞を題材とした小説や戯曲が主なものだけでも16作品登場したという。石丸梧平『人間親鸞』など4作品、村上浪六親鸞』、三浦関造『創作親鸞』、山中峯太郎親鸞の出家』など2作品、吉川英治親鸞記』等である。そのほか、雑誌に特集が組まれ、あまりの流行にそれを非難した「流行親鸞批判号」と銘打った雑誌も刊行されているとして、本誌に触れている。「流行親鸞批判号」は売れたようで、表紙に「再販」とある。目次を挙げておこう。
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 梅原の批評は、三浦の『創作親鸞』(京文社)について「この作をよんで最初に感じたことはもつと洗練して、もつとまとめる必要があらうといふことだ」とか「ほんとうに親鸞らしいなとひつたり感じたところが比較的すけなかつた」と低評価である。この時期の三浦は、「求道者三浦関造の断訳宣言 - 神保町系オタオタ日記」や「反古にされた三浦関造の断訳宣言 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した断訳宣言後で創作に力点を置いていた時期である。三浦は、その後昭和期に入ると精神療法家として活躍していたらしく、吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」『宗教研究』84巻2輯,平成22年によると、『日本より全人類へ』(モナス、昭和4年)は兼子尚積による経絡を用いた治療法を解説したものだという。この時期の三浦についても、「三浦関造の昭和5年における展望 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したことがある。「昭和5年の計画及び希望」として「ミシチズム」を挙げていて、実際に渡米して米国神智学協会と接触することとなる。また、宮本常一の日記『宮本常一日記青春篇』(毎日新聞社平成24年6月)にもこの頃の三浦が出てくるので紹介しておこう。

(昭和4年12月)
2日。(略)午后、[泉]佐野で講演会があるので行つた。三浦関造先生の話である。認識論について語られて居た。得る所多し。出てすぐかへる。(略)

[ ]内は、編集部による註記

 田村善次郎編「宮本常一年譜稿」によれば、宮本は、この年3月に天王寺師範学校専攻科を卒業し、4月から大阪府泉南郡田尻尋常小学校訓導として働いていた。三浦の講演は、若き宮本の心をとらえたようだ。何を喋ったのだろうか。
 三浦については、小田光雄氏、吉永さんや私等が関心を持ち、その後岩間寛編著『三浦関造の生涯:綜合ヨガ創始者』正・続編(竜王文庫)が刊行されている。更に、大澤先生も参戦されるようで、5月8日「第2回公開研究会 - 「キリスト教とナショナリズム」研究会」で、栗田英彦「キリスト教社会主義者の「日本神学」ーー関口野薔薇の思想と活動」と共に、大澤絢子「三浦関造の思想形成ーーキリスト教から綜合ヨガへ」が、オンラインで開催されるという。楽しみにしております。