有島武郎の一族も田端にあった天然自笑軒を利用していたようだ。有島の日記によると、
大正6年1月9日 夕方、原が来て、英も一緒に天然自笑軒へ行く。
原文は英文で、小玉晃一訳(『有島武郎全集第十二巻』)による。「原」は友人の原久米太郎(原智恵子の父)として、「英」は翌日の条に「今朝、英に男の子誕生」とあり、弟の里見とん(本名・英夫)である。
同年10月5日付け有島行郎宛書簡(『有島武郎全集第十三巻』)には、
昨日は母上に従ひて子供を連れて午後より上野に参り夫れより田端の天然自笑軒と申す会席料理屋に参り、生馬夫婦連座にて晩餐を喫し九時頃帰宅致候。母上様にはこの一遊を殊の外よろこばれ申候。
とある。また、同年12月8日付け有島生馬宛書簡には、
自笑軒延期のことは中村星湖氏より直接御通知する由信子さんがいつておられた。
「信子」は生馬の妻。有島一族が、自笑軒をよく使ってしたことがうかがわれる。この年は、芥川龍之介が赤木桁平(本名・池崎忠孝)と会食したり(8月8日参照)、谷崎潤一郎らが宴会をしている(同月29日]参照)。
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「坂の上の雲」第2部の予告が始まっていた。