以前紹介した原敬関係文書第八巻には「新聞紙通信社一覧表(明治40年11月調査 警視庁)」という資料も収録されている。これで、毎日電報新聞を見てみよう。『明治新聞雑誌関係者略伝』に立項されている人物だけ拾うと、社長兼主筆高木利太、「之レニ亞クモノ」塚原靖、記者としては、岩井益之助、松内則信、管野須賀子である。その他の記者は、無名の人ということになるが、一人だけ私の知っている人がいる*1。近事画報社・独歩社にいた枝元長夫(枝風)である。黒岩さんの独歩本によると、枝元は明治40年1月の『新古文林』掲載の新年挨拶からは名前が消えているというから、その後毎日電報に入社したと思われる。管野は、39年12月に社会部記者となり、41年8月にクビとなるから、枝元とはごくわずかの期間同僚だったということになる。
また、黒岩さんの発見によれば、管野は明治41年独歩の亡くなる前に見舞いに行っているという。独歩と親しかった枝元と、独歩について色々話をしたことはあっただろうか。
これも黒岩さんが、お元気であれば驚いてもらえるのだが・・・
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のこのこと九段に行くとたれそにつかまったりして(笑)