神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』(角川選書)への補足記事一覧(該当ページ順)

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足記事一覧(書籍コード順)」(2010年12月15日)と「黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)への補足記事一覧(該当ページ順)」(2010年12月18日)が一部で好評だったので、独歩本についても補足記事一覧(該当ページ順)を作りました。

14「不同舎門人田内千秋の経歴」(2009年10月4日
57「村井弦斎国木田独歩の時代を生きる小林一三」(2009年2月5日)、「『東洋画報』創刊披露宴」(2010年8月13日
150、223「坪内逍遥国木田独歩への思い」(2007年12月18日)、「『婦人画報』記者列伝(その4)」(2008年1月24日)、「戦後の枝元枝風(枝元長夫)」(2009年9月20日)、「毎日電報記者管野須賀子の同僚」(2009年11月27日)、「枝元枝風の生年」(2010年5月7日)、「科学知識普及協会の枝元長夫」(2010年6月23日
222「兵どもが夢の跡、独歩社の終焉」(2009年10月10日
253「早稲田よい処、目白を受けて魔風恋風そよそよと」(2007年12月13日
274「もう一人の女写真師」(2008年5月24日

本書でもっとも印象的だったのが、女写真師梅子のモデル探しの章。黒岩さんがこれに関心を持つに至ったのは、次に掲げる「古書の森日記」における2反田氏とのコメントのやりとりであった。

5. Posted by 2反田 2005年12月23日 12:19
初期の報道写真家の中には、今日では埋もれてしまった人が相当いるように思います。『近事画報』創刊時の編集者はたった2人だったそうで、1人は『独歩』ですが、もう1人の『杉浦野外』はご存知でしょうか?(明治41年8月の坂本紅蓮洞の文章中に「現 写真通信社の杉浦野外氏」と見えます。) この杉浦氏が、どうも初期『近事画報』グラフィック上の最重要人物のように思われますが、足跡がなかなか辿れません(写真史の専門家ならば見当がつくのかもしれませんが)。また、国木田治子の『破産』中には、18歳で上京して写真を学び、近事画報社で働き、国木田家に居ついている『梅ちゃん』なる少女写真師が登場しますが、彼女の本名すら不明です。
なお、国木田治子『破産』は筑摩「明治文学全集」の「女流文学集1,2」のいずれかに採録されていました。この本が一番見つけやすそうです。
6. Posted by 2反田 2005年12月23日 12:24
訂正
上記、紅蓮洞の文章は、「現 写真通信の杉浦野外氏」が正しいです。「社」は付きません。

7. Posted by Hisako 2005年12月23日 12:51
2反田さま、貴重な情報をありがとうございます。杉浦野外という名前からは、残念ながら何も思い当たりません。これはぜひ来年調べるべき課題にしたいと思います。「梅ちゃん」という少女写真師もいたのですか! ますます興味をそそられます。以前、村井弦斎の小説『写真術』に、実在するモデルがいるのではないかと思い、いろいろ調べたのですが、そのとき全国の写真関係者の名簿が載っていた本を見た記憶があるので、その中にこうした人のことが書かれていないか、調べてみたいと思います。
1冊目に書いた本が写真家の評伝だったので(時代は異なりますが)、「写真」のこととなると、ちょっと放ってはおけないという気がしてきます……。まったく困った性分です(笑)。

黒岩さんは、独歩本の「あとがき」で「拙ブログ「古書の森日記」で独歩に関する情報を教えてくださった方、適切な助言をしてくださった方、執筆中に絶えず激励してくださった方など、そのすべての方々に、この場をお借りして感謝の気持ちをお伝えしたい」と謝辞を述べているが、念頭にあった謝辞の相手の筆頭は2反田氏であっただろう。