神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その2)

黒岩さんの『古書の森 逍遙』への補足、というか蛇足(その2)*1。030『獅子王』(青木嵩山堂、明治35年10月)、055『海賊王』(隆文館、明治38年4月)の著者稲岡奴之助の経歴については、黒岩さんも少し書いておられるが、『日本近代文学大事典』から引用すると、

稲岡奴之助 いなおかぬのすけ 明治六・一・?〜?(1873〜?)小説家。京都生れ。本名正文。別号蓼花、桜庵。村上浪六の門下で、撥鬢小説*2を書き、のち「やまと新聞」「二六新報」「講談倶楽部」などに多くの大衆小説を連載した。明治二九年二月嵩山堂刊行の『八十氏川』が出世作で、以後、『姫物語』(「新著文芸」明三六・七)のような短編もあるが、長編の『獅子王』(明三五・一〇嵩山堂)『海賊大王』(明三八・四隆文館)などが有名(岡保生)

偶然のことだが、黒岩さんの読んだ二作が稲岡の代表作のようだ。『新著文藝』は明治36年7月稲岡が主幹となって弘文社から創刊された文藝雑誌。1巻4号(明治36年10月)には国木田独歩の「正直者」が掲載されており、稲岡は独歩と関わりがある人物でもある。

稲岡の新聞連載小説を高木健夫『新聞小説史年表』から拾うと、

「岩鉄狂禅」(稲岡奴之助、画・石田年英)「東京朝日」(明29年8月11日〜9月17日)
「弥生物語」(奴之助)「千代田」(明32年1月)
梁山泊」(奴之助)「千代田」(明32年7月8日〜)
「当世女学生気質」*3(奴之助)「人民」(明36年10月1日〜)
「戦時小説・雪と女」(奴之助)「人民」(明37年5月8日〜)
「薄命女」(奴之助)「人民」(明37年8月30日〜)
「八幡船」(奴之助)「人民」(明37年11月30日〜)
「当世海老茶式部」(稲岡奴之助)「人民」(明38年3月8日〜)
「勇婦盛姫」(奴之助)「やまと」(明38年7月9日〜)
「貞婦総角」(奴之助)「やまと」(明38年9月17日〜)
「家」(稲岡奴之助)「京都日出」(明44年10月13日〜12月12日)70回
「孝」(稲岡奴之助、画・前野春亭)「山陽新報」(大2年1月10日〜4月13日)93回
「女無用」(稲岡奴之助)「二六新報」(大8年7月12日〜11月21日)130回、夕刊

高木の『新聞小説史明治篇』によると、このうち「戦時小説・雪と女」、「八幡船」が日露戦争物。黒岩さんが読むならこの二篇だったか*4。もっとも、『海賊大王』も日露戦争物だという。

(参考)稲岡の娘が秋田雨雀の日記に出てくることは、2007年5月31日参照。

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九段下のしょうけい館で「昭和の夫婦〜“戦傷病者の妻”が生きた時代〜」展開催中。武良布枝さんの証言映像や水木しげる氏の義手の展示あり。

*1:(その1)は先月28日

*2:「撥鬢(ばちびん)小説」とは、同事典によると、「日清戦争前後流行した村上浪六の町奴を主人公にして、その任侠を称えた大衆小説の呼称。撥鬢は、町奴の頭髪の形状にちなむ」とのこと。

*3:正しくは、「当世女生気質」か。

*4:ただし、単行本化されていないか。掲載紙『人民』は、国会図書館OPACによると、『めさまし新聞』(めさまし新聞社)1号(明治26年11月15日)〜568号(28年12月14日)、『東京新聞』(東京新聞社)569号(28年12月15日)〜1425号(31年10月16日)、『日刊人民』(人民新聞社)1426号(31年10月19日)〜2487号(34年12月31日)、『人民』(人民新聞社)2488号(35年1月1日)〜3864号(38年10月17日)、『人民新聞』(人民新聞社)3865号(38年10月18日)〜4499号(40年8月28日)と変遷している。金沢文圃閣の『雑誌新聞文献事典』には、『人民新聞』は『東京新聞』(星亨主宰)の後身とある。