長崎県美術館で来年1月8日まで「浪漫の光芒ー永見徳太郎と長崎の近代」を開催中である。旧Twitterで知って、フライヤーはまだ入手していない。長崎には学生時代の友人鼎君(筆名。京大U超研・SF研OB)がおられるし、観に行きたいところである。こういう有名人ではないが、特定の地方や分野で知る人ぞ知る人物に関する展覧会が好きだ。
永見は、昔よく通った神戸市立博物館の前身である池長美術館の池長孟に南蛮屏風等を売却した蒐集家として、名前は知っていた。また、実は書肆夏汀堂*1の肩書きがある永見から大友佐一宛の絵葉書を持っている。600円で寸葉さんから入手。裏面は、「聖母マリヤ 浦上信者舊蔵」の写真である。切手は貼られておらず、大友の住所も書かれていない。投函するのを止めたか、大友に会う知人に託したのだろう。
文面は、
・報知の浮世絵展は大盛況で、展覧会のレコードを破り、近く聖上も来られるらしい
・7月10日~16日に永見が主となり、南蛮展覧会を三越で開催し、寛永前の物のみ並べる予定
・大友の方に慶長頃の古い極上の物があれば、知らせてほしい
・近く『南蛮屏風集成』を刊行する*2
ことなどが書かれている。
『日本美術年鑑1929』(東京朝日新聞発行所、昭和3年12月)の「古美術展一覧」によれば、浮世絵展は昭和3年6月6日から25日まで報知新聞社の主催により東京府美術館で開催された。永見は、《狩野元秀洛中洛外図》《南蛮人来朝図》を出品している。これにより、葉書は同月に書かれたことが判明した。また、同一覧によれば、南蛮美術展は、南蛮会の主催により三越で同年7月10日~16日に開催されている。永見や山村(山村耕花ーー引用者注)所蔵の南蛮屏風を始め、新村博士(新村出ーー引用者注)が発見した切支丹宗徒の墓等が展示された。
葉書の宛先の大友は、『石川県人名辞典 現代編三』(石川出版社、平成5年9月)に、「大友奎堂」として立項されている人物と思われる。明治23年金沢市尾山町生まれ、本名佐一。家業の駅弁当屋大友楼を息子に任せ、もっぱら自分の好きな道、郷土史や刀剣等の研究に専念したという*3。永見と大友の関係は、不明である。永見については詳細な大谷利彦『長崎南蛮余情:永見徳太郎の生涯』(長崎文献社、昭和63年7月)及び『続長崎南蛮余情:永見徳太郎の生涯』(同、平成2年10月)があるが、後者の「正編・続編人名索引」を見ても大友は立項されていない。ただ、後者の282頁によれば、昭和3年5月7日の「よみうり文芸」欄の「よみうり抄」に「金沢市で氏(永見ーー引用者注)が中心となり海外文化展開催昨日同地に赴いたが北国地方を廻はつて帰る予定」とあるそうなので、その時に二人の接触があったかもしれない。
追記:『西洋文化移入に関する図書展覧会目録』によれば、昭和3年5月5日~7日石川県立図書館で同図書館及び金沢市書香会主催で「西洋文化移入に関する図書展覧会」が開催され、永見や大友が出品している。