神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

図書研究会々員だった?須田国太郎

金沢文圃閣から復刻中の『内務省納本月報』。当初は『ブック・レビュー』というタイトルで大正15年11月創刊。発行所である図書研究会の会員名簿を見てたら、昭和2年1月号掲載の「図書研究会々員名簿(其三)」に「須田国太郎(京都)」とあった。同名の画家の須田は、大正5年京都帝国大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒、7年同大学大学院退学、14年3月和歌山高等商業学校講師となり、同年12月絹子と結婚し、京都市上京区(現北区)出雲路松ノ下町に新居を構えていた(『須田国太郎資料研究』(京都市美術館、昭和54年3月)による)。この須田が、図書研究会の会員だったと断定はできないが、そうだったら面白い。
なお、同名簿には、「高□兼三郎(前橋市□式会社煥乎堂)」、「荻山秀雄朝鮮総督府図書館長)」、「谷島屋書店(静岡市)」なども見える。煥乎堂の兼三郎って誰でしょうね。