8月4日は、オリオン・クラウタウ『隠された聖徳太子:近現代日本の偽史とオカルト文化』(ちくま新書)の書評会(龍谷大学)に参加。刺激的で、かつ、楽しめる研究会でした。関係者の皆様、お疲れ様でした。吉永さんが亡くなってからは、こういう研究会には参加しづらくなった。しかし、評者の一人が旧知の栗田英彦さんで、クラウタウ先生の本には吉永さんへの謝辞があったので行くことにした。栗田さんに紹介いただき、先生にサインを貰いました。ありがとうございます。
本書で気付いたことを補足しておこう。
・80頁 「戦前の段階では、太子関連のセンセーショナルな論はそれほど見られない」←戦前期における太子関連の面白い論が他にないか別途調べてみます。とりあえずは直接の聖徳太子関連ではないが、河口慧海による秦氏チベット人説を補足しておく。私は、高山龍三『河口慧海:雲と水との旅をするなり』(ミネルヴァ書房、平成30年1月)の302-307頁で知った。この説については、『読売新聞』昭和7年1月28日-2月2日連載の「語源の解らぬ邦語の意義の新発見」に詳しい。これによると、
この秦氏が西蔵人であつたことは歴史が示すのみでなく、彼等の信ずる神の名、及び彼等が移住した土地に命名した語、並に彼等自身の名などが皆西蔵語であつて、その上彼等が将来した音楽舞楽歌謡風俗等、皆西蔵固有のものであるのだから、彼等が西蔵人であつたことは毫も疑ふ与[ママ]地がないのである。
慧海は、秦氏が広隆寺を建てた太秦(ウズマサ)については、中央(ウ)に集(ヅ)める主(マ)なる地(サ)としてチベット語に由来しているとした。佐伯好郎と論争をしていれば面白いが、無さそうである。
・90頁 佐藤栄『日出づる国の太子』(山口書店、昭和18年12月)←この本は、『GHQに没収された本:総目録 増補改訂』(占領史研究会、平成17年9月)に挙がっていた*1。ただし、池田は公職追放にはなっていない。また京都帝国大学法学部教授だったが、教職追放を免れるためか辞職していて追放にはなっていない。この池田は本書で特に注目すべき存在であった。
・同頁 「十五年戦争期において、日本が空前の太子ブームを経験したことも確かであろう」←「空前」はやや疑問である。小林昌樹『もっと調べる技術:国会図書館秘伝のレファレンス・チップス2』(皓星社、令和6年6月)で紹介された国会図書館の「NDL Ngram Viewer」(図書・雑誌におけるキーワードの出現頻度・出現比率をグラフ化)で「聖徳太子」を検索する*2と次のとおりである。
戦前において昭和19(1944)年と並ぶピークは大正10(1921)年である。これは聖徳太子1300年遠忌によるもので、この遠忌については評者の池田智文先生も言及されていた。雑誌記事に限定されるが、皓星社の「ざっさくプラス」では、次のとおりで大正10年がピークとなる。
クラウタウ先生は東北大学大学院出身で現在は同大学准教授。吉永さの学統を継ぐ栗田さんも同大学大学院出身である。また、「日本大学総長山岡萬之助が主宰した宗教雑誌『宇宙』(宇宙社)と大東信教協会 - 神保町系オタオタ日記」や「福来友吉に仲人をしてもらった心理学者高橋穣 - 神保町系オタオタ日記」で言及したとおり戦前の東北帝国大学にはオカルト文化に関係した教員もいたようだ。そういえば、日猶同祖論を提唱したキリスト者には東北出身者が多いとも言われる。「光は東北より」、なんちゃって。