神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

桜男の笹部新太郎が昭和19年大阪造兵局で開催した桜の会と南木芳太郎


 昨年5冊目で完結した『南木芳太郎日記』(大阪市史料調査会)。本当に趣味人が多く出現する日記である。@wogakuzuさんが「人名索引や事項索引がほしい」とつぶやいておられたが、誠にそのとおりである。「田中緑紅が創設した演芸研究会「柝の音会」の幹事加藤菊次郎 - 神保町系オタオタ日記」で言及した加藤菊次郎も、実は『南木芳太郎日記五』に登場している。

(昭和十九年)
二月六日
(略)
◯京都太秦西蜂岡町九、加藤菊次郎氏より146号以下残本の問合あり、返事出す。
(略)

 更に、白鹿記念酒造博物館(酒ミュージアム)で「桜男笹部新太郎を育てた文化」展が開催された笹部も出てきた。笹部とは、南木が主宰する『上方』88号、昭和13年4月に「近畿の桜」を寄稿してもらうなど交流があった。 

(昭和十九年)
四月十二日
(略)
造幣局案内状着につき松鶴*1・志村政元・孝橋一夫・松本茂平・朝倉斯道(朝日新聞)*2・池田谷久吉・高尾彦四郎へそれ/\送る。
(略)
四月十五日(土曜日)
(略)一時前、造幣局へ行く。三階に笹部氏既に陳列品を整へてあり。二時開会。局長の挨拶、佐多博士*3の笹部氏紹介、笹部氏の講演、松鶴の「桜の宮の仇討」にて無事終了。来会者約百名盛会であった。(略)

 この大阪造兵局で開催された桜の会について、酒ミュージアムで笹部の年譜昭和19年の条に記載があった。それによると、東京桜の会が戦争のために開催できなくなったので、大阪造兵局で開催したという。笹部の『櫻男行状』(平凡社、昭和33年4月)の「造兵局と桜の会」にも記載があった。

 文献展観には、桜癖として、江戸中期から明治初期へかけての画家で、桜の絵に科学性をとり入れながらも芸術の香りも失わせず、桜の画ばかりしか描かなかった一方、名桜の保存に盡した人びとの作品と併せて、桜に因む書画や蒐集品の類を陳列した。戦時では他家の蔵品の借出しなどできることではないので、ことごとく私の蒐めたものばかりであった。(略)
 桜の講演も私の独り芝居だったから、これだけでは明るさがないと考えるにつけて、これは私のいたずらっぽい演出ながら、彩りにもと松鶴の落語“桜の宮の仇討”一席を余興として加えることとした。(略)

 酒ミュージアムには、「戦前の西宮で創立された蒐集家ネットワーク「西宮雅楽多宗」 - 神保町系オタオタ日記」で言及した西宮雅楽多宗関係の写真、案内状も展示されていた。笹部は西宮雅楽多宗の会員ではなかったが、例会に参加したり講演したりしたという。笹部さくら資料室として所蔵するコレクションは度々展示しているようなので、今後も注意して観に行きたい。なお、西宮雅楽多宗について大正5年創立とパネルにあった気がするが、昭和5年ではないだろうか。ネットで読める山内英正「『西宮雅楽多宗』の人々(一)戦前編ーー趣味人ネットワークの成立・展開ーー」の92頁には大正5年5月5日結成とあるが、94頁に昭和5年5月5日開創、113頁に昭和15年8月に結成10年記念の鈴塚を建立とあり、昭和5年創立が正しいと思われる。

*1:笑福亭松鶴

*2:昭和19年《國之楯》を完成した直後の小早川秋聲が『南木芳太郎日記五』に - 神保町系オタオタ日記」で言及した『南木芳太郎日記五』昭和19年3月10日の条に出てくる「朝倉」と思われる。

*3:佐多愛彦