神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

宮本常一や南木芳太郎が観たー大阪美術倶楽部における山中商会主催の展覧会ー


 昨年平安蚤の市でナンブ氏から山中商会ニューヨーク支店内部の大判の写真を見せてもらった。古美術商山中商会に多少関心はあるが、何かと注目されるニューヨーク支店よりむしろ地元の京都支店(のち山中合名会社)の方に興味があるところである。
 さて、山中商会が大阪美術倶楽部で開催した展覧会を観た記録が二つの日記に記録されていたので紹介しておこう。
 一つ目は、『宮本常一日記青春篇』(毎日新聞社平成24年6月)である。

昭和3年
11月25日(日)
(略)
午后、主人*1について美術クラブへ行く。山中氏の古美術展覧である。支那のみであるが、実によかつた。周は規矩、漢は素、唐は寂、宋は枯、明は陰、清は精である。殊に陶器にすぐれたものが多い…仏像が日本のものとちがふ所は顔が主になつて居ることである。性慾的な感じのするものが少いのはうれしかつた。(略)

 宮本は、当時天王寺師範学校専攻科に通っていた。宮本が観た展覧会は、『日本美術年鑑1930』(東京朝日新聞発行所、昭和4年12月)の「古美術展一覧」によれば「支那古美術展」である。ただし、「日本の古本屋」に出品されている図録を見ると、正式名称は「支那古陶金石展観」のようだ。会期は昭和3年11月25日~27日なので、宮本は初日に行ったことになる。
 朽木ゆり子『東洋の至宝を世界に売った美術商:ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮社、平成25年9月)228頁から山中商会社長の山中定次郎が始めた展観方式について引用しておこう。

(略)展観は、展覧と同じ意味だが、会場で商品を展示し、また前もってカタログを印刷し、定価をつけておいて、それらの商品を販売した。山中商会がはじめて行った展観は、一九二三(大正一二)年五月九日ー一一日に大阪美術倶楽部で行われた「古代支那美術展観」だ。それ以前の骨董美術商は、顧客の自宅に風呂敷に包んだ品物を持って行き、一対一で販売を行った。(略)

 もう一つの日記は、『南木芳太郎日記一』(大阪市史料調査会、平成21年12月)である。

(昭和五年)
五月十三日 晴
(略)
午後淡路町美術倶楽部に於ける山中商会の民芸品展覧会を観る。行灯、寺子屋の古机、枡、煙草盆、竹の銭入、船箪笥。従来の田舎によく見受ける古道具の種類。最も時代を経し馴と調子と味ふべき点はあれど、今日迄返り見ざりし品々が、新らしき解釈の下に掘起されし事は今更に驚く。何れも高価也。其後徳利、皿の類陶器は外国もの内地もの種々ありし。(略)

 こちらの図録は、所蔵している。展覧会の正式名称は「世界民衆古芸術品展覧会」で、会期は昭和5年5月12日~14日である。南木が言及している煙草盆や船箪笥の写真を挙げておく。

 図録には、山中による序文のほか、柳宗悦「民芸品展覧会に際して」やラングドン・ウヮーナー「日本陶器、油皿(行灯皿)について」などが掲載されている。柳は、当時ハーヴァード大学で東洋の民芸品研究に関する講義を受け持っていた。
 「日本の古本屋」で書名を「展」、出版社を「山中商会」で検索すると、165冊出品されて39冊だけ残っていることが分かる。需要があるようだ。古書価は数千円の物が多く、中には3万円台が付く貴重な物がある。

*1:下宿の大家である石川久成