神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

松村又一の『民謡レビユー』に日本我楽他宗奈良別院第四番札所宮武正道の「パラオ島の民謡」

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一昨年の9月文庫櫂で『民謡レビユー』2巻6号(民謡レビユー社、昭和6年7月)を1,000円で入手。状態が悪いので300円ぐらいで入手したいところだが、国会図書館サーチやCiNiiでヒットしないので、この値段なのだろう。編輯兼発行人は松村又一。経歴は『日本近代文学大事典』にも立項されているが、松永伍一『日本農民詩史』上巻(法政大学出版局、昭和42年10月)中「第五編田園の詩情」の「第五章松村又一の進出」から、要約しておこう。

明治31年3月 奈良県大和高市の農家生
? 畝傍中学校を卒業後、農業に従事。前田夕暮主宰の『詩歌』に所属し、その才能を認められる。
大正11年 大関五郎、泉浩郎らと詩誌『私達』を発行
大正12年 第一詩集『畑の午餐』(抒情詩社)刊行
? 京都の地方新聞記者となり、編集長となったが辞めた。その頃阪中正夫らと『関西詩人』を創刊(北園克衛、田中克巳、野長瀬正夫らがいた)
大正15年 詩のアンソロジー『関西詩選』などを出版。詩誌『雲』創刊
昭和2年 上京
昭和4年 雑誌『民謡月刊』創刊。同郷の大地主西川林之助の経済援助で月刊体制をとっていく。民謡関係の著者を出し、レコード会社に入る。
戦時中 広文堂にいたり、彰考書院創立に参加
昭和19年 茅ヶ崎で半農生活に入る。
戦後 テイチク、東芝などの専属作詞家、全国愛農会顧問、『スバル』主宰。『詩人連邦』同人。

これに加えれば、『雲』は正しくは大正12年11月創刊*1、『関西詩人』は大正13年8月創刊、平成4年9月没。
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目次の写真も挙げておこう。民謡には関心がないが、宮武正道「南洋パラオ島の民謡」と北村信昭「パラオの民謡と民話」が面白そうなので購入。
宮武は『日本エスペラント運動人名事典』に立項されているが、黒岩康博『好古の瘴気 近代奈良の蒐集家と郷土研究』(慶應義塾大学出版会、平成29年11月)の「第八章宮武正道の「語学道楽」」に詳しい。それによると、大正元年奈良市生、昭和4年奈良中学校在学中に奈良エスペラント会を創設、5年天理外国語学校馬来語部に入学。同年、パラオから天理教校へ留学に来ていたエラケツと知り合い、聞き取った伝説・民謡を『南洋パラオ島の伝説と民謡』(昭和7年2月)として九十九豊勝の東洋民俗博物館から刊行。九十九が作った「日本我楽他宗奈良別院」の「第四番札所 性洞山食人寺」と称し、また乾健治編『大和蒐集家人名録』(山本書店、昭和7年1月)にも掲載されているというから、筋金入りの趣味人・蒐集家である。
北村も奈良県出身で、奈良エスペラント会のメンバーであった。前掲事典によれば、新しき村奈良支部の創設に参加している。同支部については、「飛鳥園内新しき村奈良支部の新藤正雄宛柳宗悦講演会の案内葉書 - 神保町系オタオタ日記」参照。奈良大学に「北村信昭文庫」があり、平成28年に同大学博物館で「好奇の人・北村信昭の世界『奈良いまは昔』展 - 展示紹介 |奈良大学博物館 nara university museum」が開催されている。同文庫は、北園の書簡や詩稿も所蔵している。
本誌の松村「編輯餘談」に、

それでも民謡月刊当時はまだ売れた。民謡月刊から見ると民謡レビユーはずつと内容から見て面白くなつてゐるのだがどうも売れない。これも不景気のせいだらう。他の雑誌のことを云つて悪いが「民謡音楽」も矢張りひどく売れなかつたらしい。(略)

とあり、『民謡レビユー』は『民謡月刊』を改題したもののようだ。そちらも国会図書館サーチやCiniiでヒットしない。しかし、念のため昭和女子大学図書館のOPACを検索すると、『民謡月刊』(麦風社、昭和4年7月-5年)がヒット。昭和女子大学図書館だけの現象かは不明だが、近代文学研究者はCiniiでヒットしない場合でも、再度同図書館のOPACに当たった方がよいだろう。
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好古の瘴気:近代奈良の蒐集家と郷土研究

好古の瘴気:近代奈良の蒐集家と郷土研究

*1:2年2号,大正13年2月に北園が本名の橋本健吉名で「奈良の秋」、「サフラン」を寄稿