今年の下鴨納涼古本まつりも今日で終わった。初日は某書店の均一台に一番乗りしたがカラブリであった。まあ、そういうこともある。さて、古本まつり3日目に行った帰りに寺町の書砦・梁山泊京都店をのぞいてきた。ここは図書館のように広く、ずらりと書棚が並ぶ京都では最大の古書店(ブックオフは除く)である。そこで被伝記者の五十音順に並べた棚が私のお気に入りである。今回見つけた佐武安太郎・船田瑞穂・平井金三郎編『小川睦之輔君の手紙』(昭和28年8月)もそこにあった。133頁の非売品で発行所の記載はなく、印刷所は一燈園印刷部。「まえがき」によれば、小川と編者3人は明治35年三高に入学後明治42年に京大を出るまでずっと一所で親しかったという。三高同窓会の会員名簿(昭和3年10月)を古書店つのぶえで拾っているのでそれを見ると、4名共明治38年医科卒業生に挙がっている。小川は京都帝大教授、佐武は東北帝大教授、船田の肩書きはないが住所は神戸の三菱造船舎宅、平井は長崎医科大学教授となっている。本書は昭和26年に亡くなった小川を偲んで昭和16年から24年まで3名の編者宛に送られた書簡をまとめたものである。
昭和21年3月19日付け船田宛書簡について平井が書いた解説に京都府立図書館が出てきた。
小川君の趣味の一つは読書であつた。僕が同君を思い出してその最も古いものは、京都の古い図書館に於ける小川君の読書の姿である。その頃京都の図書館は富小路丸太町にある御所の入口を入つた所に、美術学校と測候所と博覧会場に囲まれた古い御殿風の建物であつた。丸太町にある、浅川と云う今もある表具屋の小窓で二銭の入場券を求めて前記の図書館に行くと、きたない藁草履が列べられている室に入つて書物を出して貰つて読むのである。多分三高時代であつたろう。夏の暑い日盛りにこゝへ行つて見ると、計らず暑いのに袴をはいて威儀を正して読書して居る小川君を見い出した。傍へ行つて小声で「何を読んでるのだ」と聞いたら、此れも小声で「是れだ」と云つて見せたのが鴎外の即興詩人であつた。(略)
この図書館は明治31年御所内に開設された京都府立図書館だね。その後明治42年に現在地の岡崎に移転して、今年が移転110年というのは「明治41年京都御苑内の京都府立図書館で法学を勉強する若者がいた - 神保町系オタオタ日記」や「明治34年1月京都府立図書館へ通う山本宣治 - 神保町系オタオタ日記」で話題にしたところである。小川が読んでいた鴎外の『即興詩人』上・下(春陽堂、明治35年9月)は現在も同図書館が所蔵している。ところで、平井の解説中に図書館の入場券を表具屋で売っていたというのは驚いた。普通は館内で売っているだろう。現に岡崎に移転した後の府立図書館について、古書鎌田で買った『京都府立京都図書館案内』(昭和6年10月)の「入館手引」によれば、「御来館の際は閲覧人入口より入館せられ、先づ閲覧券発売所にて所要の券を求め、それを改札口に差出します」とある。入場券(閲覧券)の販売を民間委託するというのは、明治期の図書館でどの程度行われていたのだろうか。