神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

満洲を駆け抜けた須知善一の年賀状ーー須知善一の岩井庄三郎や今尾和雄宛年賀状ーー

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 埋もれていた市道和豊氏の『満州を駆け抜けた男須知善一』と『満州の曠野に非ずーー戦後の須知善一ーー』(室町書房)が出てきた。前者には、須知の大正8年から昭和41年までの年賀状が掲載されている。私が持っている3枚は、どれも掲載されていた。
 それぞれ紹介しておこう。写真の右端のが昭和7年のもの。図研から1,000円で入手。市道氏の解説によると、大連中央局7・1・1の消印。相手の名前だけで住所がないのは、消印を押したのち会員数を纏めて主宰に送ったものと思われるという。
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 家蔵の表面は、大連市の須知から岩井庄三郎宛である。同名の人物に明治22年生まれで、39年奈良県師範学校卒、県会議員や桜井町長(昭和17年~21年)を務めた岩井がいる。小島俊次『奈良県の考古学』(吉川弘文館、昭和40年12月)には、昭和13年辻本好孝*1らと磯城郡郷土文化研究会を作り、雑誌『磯城』を発行したとある。趣味人と郷土史家はしばしば重なるので同一人物の気もするが、どうだろう。
 真ん中のは、昭和11年の年賀状。寸葉会の矢原章氏から1,000円で入手。市道氏は所蔵しておられず、大津市歴史博物館蔵を挙げている。家蔵の表面は、今尾宛。おそらく「恩地孝四郎と版画の家の山口久吉 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した染織家・画家の今尾和雄だろう。趣味人のネットワークが見えてくる。
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 左端は、昭和27年の年賀状。四天王寺の骨董市で100円。これは、未使用だった。須知の住所は、京都府亀岡町になっている。市道著によれば、須知は昭和23年に帰国している。
 市道著の「あとがき」で、「須知善一・渡辺惇太郎について教えてくださった矢原章氏」に謝辞が述べられている。矢原さん、畏るべし。「京都で神九図之会を主宰した年賀状コレクター井上女神(井上未喜知)ーー寸葉会の矢原章さんの師匠ーー - 神保町系オタオタ日記」参照。

*1:『和州祭礼記』(天理時報社、昭和19年3月)の著者