「日本オカルティズム史講座」第4回の吉永進一「日本のピラミッドと超古代の夢:1930年代」を拝聴。戦前のトンデモない人物はたいてい知っていると自負していたが、未知の怪しい人達が大分出てきたので驚いた。それでも、最も驚いたのは三浦関造の上海での活動の一端がわかる史料であった。
さて、わしの専門分野(?)について、取りあえず補足しておこう。
・「日本におけるムー大陸受容史」・・・藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸ーー”ムー大陸“の伝播と日本的受容ーー」『歴史を変えた偽書:大事件に影響を与えた裏文書たち』(ジャパン・ミックス、平成8年6月)に詳しい。ただし、三好武二*1による日本最初の紹介と続く事例とする出口王仁三郎・木村錦洲・酒井勝軍・山根菊子までの間に幾つか抜けているので、これに加えた上で年表にしておこう。
昭和6年 チャーチワード『失われたムー大陸』の原書刊行
昭和7月8月7日 三好武二「失はれたMU(ルビ:ミユウ)太平洋上秘密の扉を開く」『サンデー毎日』
昭和7年10月 友清歓真「日乃御鋼」中に「『舞(ルビ:ム)』トイフ光輝アル文化」(「日本における「ムー大陸」受容史 - 神保町系オタオタ日記」参照)
同年10月2日 三好武二「歴史の撹乱者MU MUの面影」『サンデー毎日』
同年12月 荒深道斉*2『挙て磨け八咫鏡』(純正真道研究会本部)中に三好の記事への言及(末尾の写真と「契丹古伝と竹内文献を繋ぐムー大陸幻想ーー「言説のキャッチボール」で拡大する偽史大系ーー - 神保町系オタオタ日記」参照)
昭和8年10月 有賀成可「後にしるす」浜名寛祐『上古に於ける我が祖語の本地及垂迹』(東大古族学会)中に「ミユーの東漸文化」(「契丹古伝と竹内文献を繋ぐムー大陸幻想ーー「言説のキャッチボール」で拡大する偽史大系ーー - 神保町系オタオタ日記」参照)
昭和9年5月 木村錦洲『大日本神皇記』(皇国日報社)中に「ミユー大陸の陥没」
同年7月 沢田健『三種之神宝の略説と謹解』(曲肱堂)中に「ミユウ国」(「中山忠直と竹内文献 - 神保町系オタオタ日記」参照)
昭和10年3月 出口王仁三郎『玉鏡』(天声社)中に「去る頃の大阪毎日新聞に、イギリス人チヤーチ・ワード氏の長年の研究によつて最近驚くべき太平洋秘密が白日にさらけ出された」
同年11月 酒井勝軍『神代秘史』第3巻(国教宣明団)中に「ミウ国」
昭和12年10月 山根菊子『光りは東方より』(日本と世界社)中に「ミユ人」
(この他の動向は、藤野著を見よ)
・「灯台社」関係・・・これは山口瑞穂先生の御専門だが、補足しておこう。『特高月報』(昭和18年10月分)に明石順三の公判廷に於ける「不逞供述」が載っていて、八咫の鏡の裏にヘブライ文字が書いてあり、かかる鏡を持っていた者は猶太の娼婦で、ローマの迫害に堪えかねて極東に流浪し、日本を始めたと思われると供述したらしい。この日猶同祖論はある程度は小谷部全一郎の影響だろうが、小谷部は「娼婦」とは言っていない。その小谷部が晩年竹内文献に接触していたことは、「大川周明とトンデモ本の世界(その3) - 神保町系オタオタ日記」参照。
*1:経歴は、「50年後の太平洋と1万2千年前のムー大陸を夢見た三好武二 - 神保町系オタオタ日記」参照
*2:最近気付いたが、「道斎」ではなく「道斉」