神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子さんに伝えたかったことーー集古会の自笑軒こと杉本僖平とヘレン・ケラーの講演テープ発見ーー

f:id:jyunku:20210429193155j:plain
 『跡見花蹊日記』(跡見学園)に田端の天然自笑軒が出てくる。

(大正七年)
七月十六日 (略)予、李子と同道にて田端天然自笑軒に行。中島徳蔵先生、先在。すへて茶室にて利休堂ニ座を定め(略)懐石料理十一種、美味にて十二分に頂戴いたし候。(略)

 天然自笑軒は様々な会合に使われたが、最も著名なのは河童忌だろう。「戦前の河童忌と田端の天然自笑軒 - 神保町系オタオタ日記」参照。私が天然自笑軒について調べるようになったきっかけは、黒岩比佐子さんが自笑軒主人『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月)の著者を天然自笑軒の主人だった宮崎直次郎と推定したことだった(「田端の天然自笑軒に集う文人 - 神保町系オタオタ日記」参照)。これに対して、私は中山太郎説(「『秘密辞典』の著者自笑軒主人の正体はあの学者だった!? - 神保町系オタオタ日記」参照)を提示した。その後黒岩さんの死後になって、集古会の会員杉本僖平が自笑軒と称していたことを発見した(「自笑軒と号した田端の杉本僖平 - 神保町系オタオタ日記」参照)。黒岩さんに伝えられなかったのが、残念である。
 もう一つ、黒岩さんが生きておられたらと思ったのが、4月21日・22日の京都新聞に載ったヘレン・ケラー関係の記事(森敏之記者)。ケラーが昭和30年に来日した時に講演した肉声のテープが府立盲学校で発見されたという記事である。同志社女子大学栄光館で寿岳文章が通訳を務めた分も含まれるという。黒岩さんが生きておられたら次に執筆する予定だったのは、ケラーに関する内容だった。どういうものを考えておられたのか不明だが、3度にわたる来日が中心だったのではなかろうか。きっとこの発見のニュースにも喜ばれたことだろう。