神保町系オタオタ日記

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宮武外骨の明治新聞雑誌文庫退職慰安会と記念会

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明治新聞雑誌文庫は耐震改修工事で休館中。昭和2年2月に創立され、初代館長は穂積重遠、事務主任は宮武外骨であった。宮武は、23年近く勤めた文庫を昭和24年9月30日に退職。穂積の日記に、宮武の退職慰安会や記念会に関する記述があった。穂積重遠著・大村敦志校訂『終戦戦後日記(一九四五~五〇年)』ーー大正一法学者の晩年ーー』(有斐閣平成24年12月)によると、

(昭和二十四年)
○十一月二十六日(土)
(略)午後一時から東大前白十字で外骨翁慰安会。
○十二月十七日(土)
(略)午後二時より東大明治新聞雑誌文庫にて外骨翁記念会相談。
(昭和二十五年)
○二月十一日(土)
(略)午後二時東大明治新聞雑誌文庫にて「外骨会」外骨翁に記念品贈呈(但翁は病気欠席)。

穂積は、戦後皇太子の教育等を担当する東宮職の長である東宮大夫に就任し、昭和24年2月からは最高裁判所判事に任命された。文字通り位人臣を極めた穂積が、元部下の宮武の退職慰安会・記念会に出席するだけでなく、事前の打ち合わせにも出席するとはよほど親しかったのだろう。肝心の宮武が記念会に欠席したのは、よほど具合が悪かったのだろうか。